イタリアの真ん中ウンブリア
緑あふれるウンブリアの花々で綴る
ウンブリア・ピッコロ花便り
<2015年>

ウンブリア・ピッコロ花便り(1)           201576

今日も40度近くになるとか。外の暑さは耐えられないほどだ。でも石やレンガで作られた家の中は涼しく、我が家にクーラーなどはない。
そんな中でも雑草は、強い!草刈機で刈られたチコリアは、背丈は低くても紫色の幻想的な花を咲かせている。イタリアに来て間もないころ、まだ太陽が顔を出さない早朝に窓を開けたら、チコリアのぼーっと光るような紫色が目に飛び込んできて感動したのを想い出す。今年の我が家の庭にはチコリアなどの雑草に混じってイぺリコ(HYPERICUM)の黄色い花が目立つ。
この花便りはこの花から始めることにした。日本名はセイヨウオトギリソウ。漢字では弟切草と書く。
伝説では、平安末期にある鷹匠がいたそうな。彼の鷹が怪我をしたりすると、ある草を揉んだりして治してあげたそうだが、その植物がなにかは秘密にしていたそうだ。
彼には弟がいた。兄のライバル鷹匠の娘を見初め、兄が隠していた植物名を教えてしまった。それを知った兄は、裏切った弟を切り殺してしまう。それで
弟切草と言われるようになったのだそうだ。可愛らしい花からは想像もつかない。
こちらでは一般には
イぺリコと言われているが、聖ヨハネ草とも言われる。
ある知り合いの医者の奥さんは、昔から言われているように、
San.Giovanni(洗礼者ヨハネ)の日、624日の正午に花を摘んでオイル作りをしている。”olio d`iperico(イぺリコ油)で民間薬として使われている。筋肉痛とか虫刺され、日焼け後につけるのもいいようだ。作り方は簡単だ。

イぺリコの黄色い花を消毒したガラス瓶にいれ、この辺の人はオリーヴオイルを入れるが、旧ユーゴスラビアの友人は、絶対にひまわり油でなければだめと言う。調べてみたがオイルはどちらでもよいようだ。さて、ふたをしたら、日の当たる場所に置き(これが大切)、一日一回ほどビンを振ってあげ、30日後に布などで漉す。
黄色が真っ赤な色に変わっている。洗礼者ヨハネの斬首時に流れた血の色だ。群をなして咲く花ではないので、ウンブリアの平野や丘の色を変えることはないが農道などを歩けばすぐ見つけられる植物だ。
ウンブリアを散歩するのは楽しいが、昔のように可愛い花を見つけては摘むということがこの国でも難しくなりつつある。自然を守る意味では仕方ないかもしれないが、私のような自称花泥棒には辛いときもある。でもイぺリコは問題ない。
ナルニ市から
14キロほどの所に”Lo Speco di Narni”という聖フランチェスコゆかりの地がある。山道という感じなので、こう暑い日の散歩にぴったりかも知れない。そして必ずイぺリコを目にすることでしょう。                     禮子














イタリアの真ん中ウンブリア
緑と食材にあふれるウンブリア
その魅力と日々の暮らしのひとこまをお送りいたします。
[2013年]

ウンブリア・ピッコロ魅力(35) 2013年9月20日

 このところアメリア市に、ゲルマニクス像のポスターが目立つ「AMERIA FESTIVAL」が開催されている。

ローマではちょっと掘れば遺跡にぶつかるのは当たり前だが、1963年8月3日という暑い日に、アメリア城壁外側の整地工事中にたくさんの大小のブロンズ破片が見つかった。これがアメリアが誇るゲルマニクスのブロンズ像である。復原された2.14mの像は考古学博物館(Museo archeologico)に置かれているが、この像が発見されて今年50年目。初代古代ローマ皇帝アウグストゥスの姉の孫であり、アウグストゥスが三代目皇帝に選んでいたのがゲルマニクスになる。ポスターは古代時代のスペルAMERIA(現在はAMELIA)を使っているのは彼をたたえてであろうか。

もうひとつのアメリアの顔、蹄鉄型市民劇場は、内部は総木造で外側は石造り。すぐれた音響効果でも有名である。この劇場が完成して230年。これら2つのことから9〜10月にいろいろなことが計画されている。

 この劇場での催し物のひとつに、イタリアのバイオリニスト、ウト・ウギ(UTO UGHI)とローマ楽団オーケストラのコンサートがあり、聴きに出かけた。胸の開いた服を着て、用意していたおしゃれな靴を、雨が降りそうな日だったのと腰を痛めていたこともあって土壇場で、買い物にも履くサンダルに替え、首のあたりがそよそよするとて麻のこれも普段よくつけるスカーフを巻いて出てしまったのが大間違い。女性の大半は頭の先からつま先までびっしっときめた夜会服。一緒にいた義妹に恥をかかせたことだろう。ヴィヴァルディの”四季”で、おしゃべり好きのおじいさんという感じのウト・ウギさんは、”これは何を表現し・・・”と少し演奏しては説明を加え、昔山本直純さんが”ブレーメンの音楽隊”を子供を対象に説明演奏していたのを思い出した。平土間席やボックスなど全部で400人ほど収容のこの小劇場は満席で、どの席からも舞台は近く感じられ、ウト・ウギさんが"私に話しかけてくれている”という思いを観客は皆抱いたことだろう。ちなみにアメリアの市民劇場は、ミラノのスカラ座に遅れることたったの4年で、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場はアメリアの10年後に建てられた。驚くほど似ていたことから、ヴェネツィアの建築家セルバ(Selva)はアメリアの劇場からインスピレーションを得たであろうとパンフレットに書いてあった。

 博物館内で行われた”父ゲルマニクスと息子カリグラの像”についての二人のローマ大学教授の説明も聞きに行ってみた。19歳でアウグストゥスの孫と結婚したゲルマニクスは、どこへでも妻同伴で、6人の子供にも恵まれたイケメンで、強くやさしいパパだったようだ。アメリア名物”干しイチジク”を、軍靴を履いた小さな息子カリグラの口にいれてあげる姿を想像してしまう。

 ローマに住んでいた頃よくスペイン階段前のコンドッティ通りの並びのフラッティーナ(via Frattina)通りで買い物をしたものだが、ここがアメリア出身の名門ファミリー、ファラッティーニ(Farrattini)の名前からとは驚きだ。急に親近感がわき、誇らしく思えてくるのだから私もついに、アメリーナ(アメリア市民)になったということか?!

 もうすぐヨーロッパ文化遺産デーがやってくる。毎年9月の最終土・日曜日に、普段入れない所とか美術館などが一般に無料で開放される。実もたわわなオリーヴの木の下で、どこに行こうか考えよう。       禮




ウンブリア・ピッコロ魅力(34) 2013年6月27日

 ローマに住んでいた頃に一度だけ行ったことがあり、ウンブリアに住むようになって気にはなっていた町だが、我が家から少し遠いこともあって訪れていなかった”グッビオ(GUBBIO)”町で友人が茶道のデモンストレーションをすることになり、客役を頼まれ、二つ返事でオーケーした。長く続いた雨降りもようやく終わり、晴れ上がった青空の下、E45道に入ってペルージャ方面へ向かった。丘上にトーディ町が見えてきた。ポポロ広場にもう少しおしゃれなバール(喫茶店)があればなあと感じたのを思い出してコーヒーはがまん。デルータ町は、中に入って陶器を見たいなと思うがこれもがまん。ペルージャからS298道に無事に入れ、ホッとする。くねくねした上り坂が多くなる。それに平行して美しい景色が眼前に広がる。<イタリアの緑のハート>を満喫できる。それにしても、スピード違反取り締まり機のなんと多いこと!しかも制限が時速50kmときているからうっかり出来ない。せめて60kmにして欲しい。ウンブリアの警察はヤボだ!

ウンブリア人やエトルリア人が住み着き、紀元前3世紀にはローマの勢力下にはいったという歴史をもつ、海抜522mのグッビオ町は人口約32000人。城壁の外に今も残る紀元後1世紀の古代ローマ劇場跡近くの野原のような駐車場に車を止めた。ここから歩いて2〜3分のところにある40人殉教者広場(Piazza Quaranta Martiri)のすぐ近くに、一晩私たちを泊めてくれる人の家があった。この女性は、モンテソッリ方式の学校の先生で、毎朝その日の行動は子供たちが決めるというもので、私の着いた日は、童話の読み聞かせということで彼女は、主人公のイメージのロングドレスを着て読んであげたそうだ。そのままの格好で帰ってきた。さて、この広場に面して聖フランチェスコ教会があり、反対側には旧羊毛組合の、反物を張り伸ばしていた長い開廊があり現在は小さな朝市がたっていた。コルネットの種類の豊富なバールでようやくコーヒーを飲めた。

 インジーノ山(Monte Ingino)の斜面につくられた町の観光は今回半日しかなかったので、山頂を目指すことにした。まずはシニョリア広場(Piazza della Signoria)まで歩く。ここからは独特な石造りの家並みやグッビオ平野が広く眼下に見渡せる。広場を囲む建物のひとつに、イタリアの公共建造物の中で最も美しいもののひとつと言われる14世紀の執政官宮殿(Palazzo dei Consoli)がある。現在市立博物館と絵画館になっていて、有名な”グッビオのブロンズ板(Tavole eugubine)”は、ウンブロやエトルリア族のアルファベットでも書かれた興味深いもので是非見て欲しい。また、この広場はイタリアの人気テレビドラマ”ドン・マッテオ”のロケ地としても使われていたそうで、広場に面したホテル・バールには、所狭しと出演者の写真が貼られていた。
ローマ門(Porta Romana)近くから、鳥かごのようなものに乗ってのロープウェー(funivia)での6分間ということだがなんと気持ちよく、土曜日だったこともあって、教師に引率されて子供たちがゴミ拾いをしていたので上から声をかけたりして気分は益々爽やかになる。降りて少し歩くと、海抜827mに位置するという、グッビオの守護聖人ウバルドの教会(la Basilica di S.Ubaldo)があり、中央祭壇には1194年に運ばれた聖人の遺体が置かれてある。そして、グッビオの有名な祭り、ローソク型山車競争(Corsa dei Ceri)のゴール地でもあり、解体された山車が置かれてあった。来年の5月の第一日曜日に町へ持っていかれるまでここで休んでいる。一度、勇壮な5月15日の祭りを見たいものだ。
教会のあと、もう少し歩いて、城砦跡(Rocca)まで行った。ガイドブックでは、ウンブリア側アペニン山脈や、アッシジの城砦も見えるとあったが、私には連なる山々とグッビオ平野に包まれるだけで心も身体も清清しくなった。真夜中にここへ来ることはできないであろうが、この町は、満天の星鑑賞に最適なところではと思いつつ私たちはデモンストレーション後の心地良い疲れを、中世のたたずまいの中のパブのようなところで道にだされたテーブルに陣取って、漉していない生ビールと、ここでも有名なトリュフのはいったブルスケッタなどで、乾杯!!!でした。                禮




ウンブリア・ピッコロ魅力(33) 2013年2月

 パソコンでテルニのところを見ていたら、ある日本女性がサン・ヴァレンタイン教会に行って見たいが、歩いて行けるのだろうかというのをみつけた。しかも、ローマからフィレンツェへ行く途中の3時間半の立ち寄りだという。せめて一泊なりと出来ないものだろうかと考え込んでしまった。しかも車で行ってもちょっとした距離感をいつも感じる所である。
でも、決めた!

 2013年2月14日、テルニ駅近くの駐車場に車を置いて、駅からの出発とした。
旧市街から約1キロ離れたこのあたりに、1860年代にローマとアンコーナを結ぶ鉄道が開通し、この駅もつくられた。駅を出ると、眼前に現れるのが巨大なプレス機。防衛上国境や海から遠く、マルモレ滝などからの豊富な水量に恵まれたテルニ市は、1800年代後半から鉄鋼業の地として栄える。ここにあるプレス機は実際に工場で使われていたもので、12000トンあり、テルニのシンボルとして駅を出る人たちを迎えている。
駅前の、鉄道開始と共につくられた道のひとつ、駅前通り(Viale della Stazione)に入る。ホテルや店々などを見ながら進むと、大きな円形噴水のあるタチト広場(Piazza Tacito)にでる。1932年のコンクールで選ばれ造られたものだが、第二次世界大戦で壊され、61年に再建されたもの。テルニ市民から「ペンとインク壺」の愛称で親しまれている。そう見えるかな?噴水を飾るモザイクも見ること。
そしてタチト大通り(P.Cornelio Tacito)に入る。
古代ローマの歴史家タキトゥスの名がついているのは、この町がタキトゥス家の生地と言われているからだ。進んでいくと、縦長の鉄鋼彫刻が見えてくる。ウンベルト・マストロイアンニ(Umberto Mastroianni)作。鉄鋼業を誇る町だけに、この町を飾る彫像物は全て金属製。
ちょっとコーヒーを飲みたいのなら、この通りでがお勧め。次にぶつかるレプッブリカ広場(Piazza della Repubblica)の少し手前右側に、大きな喫茶店があり、外にもテーブルが並んでいる。今はオーナーが替わってしまったということだが、1913年開店のその当時は有名なパッツァリア(Pazzaglia)菓子店で、ローマからわざわざお菓子を得る為にやって来る人たちがいたという。王室や法王庁菓子御用達を受けていたという。
スタンダールが友人に、"御者にたのんで寄り道してマルモレ滝に行ってもらうように”と言ったそうだが、わざわざでも寄りたい所がウンブリアにも結構あることが嬉しい。
さて、広場に入って正面に、ルネッサンス様式の威厳のある建造物側面が見えている。アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーバネ(Antonio da Sangallo il Giovane)の設計とされるスパーダ宮殿(Palazzo Spada)は、現在テルニの市庁舎として使われている。スパーダ宮殿の正面側に出て、ヨーロッパ広場Piazza Europa)に入る。第二次大戦前は、住宅がびっしり立ち並んでいたというが、鉄鋼地だった為にこの町は118もの爆撃があったといい、このあたりもやられてしまったそうだ。
ここまで来ると眼前遠くに塔のようなものが見えてくる。光の槍(Lancia di Luce)で、鉄鋼を誇るテルニのシンボルで、ポモドーロ(Arnaldo Pomodoro)作。高さ30mあり、下から上へ鉄が加工されていく変化を表現している。それはテルニ市の発展であり、人間の進化の行程の象徴でもあろう。ヴァチカン博物館内の松ぼっくりの中庭中央に置かれた球体形彫像も彼の作。
ここまでもほぼ直線道路だった。これからも、信号があれば渡って真っ直ぐという具合に進んでいくと軽い上り坂の松並木の先右側に、黄土色の建物が見えてくる。これに向かって右にはいっていくとサン・ヴァレンティーノ教会(Chiesa di San Valentino)正面にでる。毎年のように郵便局職員が出張してきて、少し割高だが絵はがきを売っていて、その場で2013年2月14日付けの大きなスタンプをふたつも押してくれる。
教会の反対側には朝市のように屋台が並んでいるが、チョコレート屋はない。ポルケッタ屋(豚の丸焼き)が繁盛していた。

私のようにコーヒー好きは寄り道も多くなるが、少なくとも45分〜1時間はみたほうがいいと思いますよ。疲れました!    
                                                                  禮



[2012年]

ウンブリア・ピッコロ魅力 (32) 2012年3月

 あまりにも悲しいことが起きてしまった、3.11.日本を離れて久しい私だが、一年経ったその日、ウンブリアのどこかで静かにお祈りをしたいと考えていた。
 聖フランチェスコの生誕地ASSISIの教会は、カトリック信者でもない私にとっては今回の祈りの場としては少し落ち着かないものを感じる。
フェレンティッロ(FERENTILLO)市のサン・ピエトロ・イン・ヴァッレ修道院(Abbazia di San Pietro in Valle)に決めた。テルニ市から約18km。我が家から車で一時間足らずのところにある。
国道から県道ヴァルネリーナ街道(SP 209 Valnerina)に入ると、待ちに待った春の暖かさを、やわらかい緑のたけで表現する草木のその正直なたくましさを感じる。
フェレンティッロの町中のBarでコーヒーをたのんだ。日曜日の朝ということもあって、陽光を顔に浴びながら新聞を読んでいる女性、遅い朝食のカプッチーノとコルネットを食べている老夫婦、おしゃべり相手を求めてきた老人たち、今日の予定を話し合っている若者たち。そんな中で東洋人の私が、修道院への道を確かめるために女主人に道を尋ねると、たちまち全員の目が堂々と私に向けられ、「バスは何時だっけ」、「さっき出たばかりだよ」、「いえ、車で来ましたから」、「それじゃあこの道を真っ直ぐ行くと。。。」という会話が始まった。気持ちの良い数分間を過ごすことができた。
 すり鉢状の地形に山が連なり、町を囲むように下がってきて海抜260mのフェレンティッロ町は、ネーラ川によってマッテレッラとプレチェットの二地区に分けられている。水が満々と流れていたがこれは、冬に雪がたくさん降ったからだろうか。”ミイラ博物館”のある町でもある。
 この町を出て、田舎道を進み、左に曲がって山の中に入っていくことになる。糸杉の並木を見たとき、津波で一本だけ残った松も、以前は仲間たちと並んで、訪れる人たちにやすらぎを与えていただろうにと想った。
サン・ピエトロ・イン・ヴァッレ修道院は、六世紀にここを訪れたラッザーロとジョヴァンニといういとこ同士の隠者二人が祈りの場として、古代ローマの邸宅跡か異教の神殿跡に建て、住んだことから歴史は始まる。八世紀にスポレート公国のロンバルド族の王、ファロアルド I(Faroaldo I)によって現在の修道院に近い形に建てられた。伝説によれば、この王の夢で、サン・ピエトロからこの地に修道院を建てるようにと告げられたからといわれる。これがこの修道院の名のいわれとなっている。
その後、支配者は替わったが、修道院として祈りの場は維持され続けた。1917年に個人に譲られ、現在ベッド アンド ブレックファスト ホテルとして活用されている。眼前に静かに立つ山々、その下の深い谷を見ながら静かに手を合わせることが出来ました。
 教会の方は、1907年に国有化された。教会内部は一廊式で、両壁面に残る1190〜1200年ごろに描かれたというフレスコ画は修復が終わり、今回は3ユーロの入館料を払うようになっていたが、二人の女性がガイディングをするとて、私一人にひとつひとつの絵の説明までしてくれた。新旧約聖書のストーリーが、ビザンチン様式から開放され始めた動き、奥行き表現の兆しが認められ、色もよく残っている。
私は初めてこのフレスコ画を目の前にしたとき、カヴァッリーニの作に似ていると思ったものだ。
 ローマに、サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会がある。その教会内の女子修道院の中に、カヴァッリーニ(Pietro Cavallini)のフレスコ画”最後の審判”がある。20年も前になろうか、呼び鈴を鳴らし、扉を開けてくれた修道女の、横柄な態度と顔とを覚えているのだから、かなり嫌々仕事をしていたのだろうが、フレスコ画に描かれた十二使徒のおだやかで美しい顔や、天使の鮮やかな羽の色に修道女から得た不快感が消えて、見とれていたのも覚えている。
ガイディングをしてくれた女性は、”カヴァッリーニやジョットに先立つこと100年以上。。。”をかなり繰り返し話していて、作者のわからぬこのフレスコ画を誇らしく思っていることがよく伝わってきた。今は、内部で写真を撮ることは禁止になってしまったので、以前に私の撮った写真は貴重なものであろう。
これをお読みの方。目をつぶって、糸杉の並木、周囲を囲む山々、深遠なる谷等々を想像しながら深呼吸をしてみてください。おいしいウンブリアの空気をお届けします!                                     禮




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