「イタリアの真ん中で暮らす」ツアーにご参加のお客様からの滞在記や感想文が送られてきましたので、ここにご紹介いたします。
 
 
 
 
 
 

ウンブリアで1週間のホームステイ  2017年9月

海外旅行の場合、行く先々で出来るだけそこに住む人達との交流が出来ればよりその地の実際の生活を知ることができ、充実した旅ができるのではとの思いから、何年か前からホームステイ+自由旅行のような旅をするようになりました。
今回のイタリアには数十年前にも訪れましたが、前の旅ではあまりにも多くの遺跡に圧倒され未消化でもあったため、久しぶりにもう一度と思い立ち、この9月末に出かけました。
最初の一週間はイタリア中部のウンブリア州のナル二という町の郊外に住むご主人が日本人の菊地さん宅に滞在しました。ウンブリア州はフィレンツェやピサがあるトスカーナ州の南東隣に位置し、若い頃ご主人の菊地さんがローマで働いていた時にイタリア人のアンナさんと知り合い結婚し、その後ここナル二に移ったとのことです。

敷地は町からかなり高い場所にあり、庭の端にある洗濯物を干す場所からの広大な眺望はとくにすばらしく、近隣の丘や町が一望でき、その向こうにはイタリア半島を縦断するアペニン山脈を遠くに望むことができます。我々ゲストの部屋は同じ敷地内の別棟で、ずっと昔は豚小屋だったそうですが、きれいにリフォームされており、バスルームを含めてとても清潔で快適でした。

イタリア人ご夫婦の家庭ですと、イタリア語はまったく話せず英語もやっとの我々としてはホストファミリーとのコミュニケーションに苦労することになりますが、菊地家では日本語が通じるので、我々にとっては大変有難かったです。 奧さんのアンナさんも英語はもちろん、日本語もかなり話すことができました。子供達はロンドンとローマにおり留守でしたが、庭で飼われている5匹の猫がとてもかわいかったです。

ここに滞在中ご主人の案内で近くのナル二の旧市街や近隣のサンジェミニ、アメリアなどの町を訪れました。このあたりはどこの町もローマ時代以前から2000年以上の歴史を持ち、中世の時代までは敵からの攻撃に備えて、旧市街は山の頂上近くにあり、さらに城壁で囲んでおり、現在もほぼそのままの姿を残しております。
サンジェミニを訪れた時はちょうど祭りの期間中で、中世の衣装をまとった人たちが昔の儀式を再現するのを見ることができ、まさに中世の世界にタイムスリップした気分でした。

菊地家ではその敷地内に広いオリーブ畑やぶどう畑を持っており、オリーブは収穫したあと、近くの工場でオリーブオイルにし、無農薬で混ぜ物のない純粋のオリーブオイルとして食卓に出てきます。
ブドウも自宅で手造りのワインを製造し、毎日これを頂きましたが、防腐剤など余計なものが一切含まれていないため最高においしいワイン(赤ワイン)でした。
また奥さんのアンナさんのつくるイタリア料理も超おいしかったです。
パスタ、メインの肉、魚、サラダ、デザートはどれもおいしく、ついつい食べ過ぎてしまいました。
極め付きは、これも敷地の中にあるトリュフ畑から採ってきた黒トリュフをふんだんに使ったスパゲティーでした。おいしいきのこは期待していましたが、まさかトリュフを食することができるなんて本当に幸せでした。トリュフ畑では犬の掘った跡があり、テレビなどで見るのと同じで感激しました。

滞在中、世界遺産のアッシジとフィレンツェにそれぞれ日帰りで行ってきましたが、このための列車の手配や美術館の入場予約など、さらにホームステイ後の自由旅行の列車やホテルの手配などいろいろと菊地さんにお願いし、すべてスムーズに進めることができました。
あっという間に一週間のホームステイが終わってしまいました。そしてそのあとローマ、ナポリ、ポンペイ、ソレントなどを訪れ、今回はゆっくりとイタリアを味わうことができました。

菊地さんご夫妻にはいろいろとお世話になり改めて有難うございました。

滝谷昭勝、順子

 


ウンブリア滞在旅行  06020702   2014

 二人の想い出に残るイタリア旅行‥‥沖縄.大阪.ドバイ.イタリアローマ16時間空の旅、幼少のころから夢にまで見た憧れのイタリア、沖縄から出たことのない私が今この地に立っている、耳慣れないイタリア語や目の前歩いてる外国の人やイタリアの人びと、聴くもの見るもの全てが初めての経験、これからの滞在旅行に胸ふくらませ心踊せ感激してる。

まずは人込みに交じって入国審査、取り急ぎ宿泊先のアメリアへ習いたてのイタリア語で切符二枚を買い最寄りオルテ駅まで2時間の電車旅、車窓からは大自然のパノラマが広がる眺めに初夏の風景と景色に釘ずけになり癒やされ嬉しく涙がこみ上げてくる。

初めてお逢いする菊さんと駅で待ち合わせ、これからお世話になるウンブリアアメリアの宿泊先マーラ家へ案内してもらい車中で色々とアメリアでの過ごし方を優しく説明していただき私達の不安を取り除いてくださりありがたく感謝しています。

マーラ家に到着するとマーラさん お母様 お父様みなさんでお迎えくださり嬉しく心温まりみなさんのぬくもりが忘れられません 。(本当に良かったと心でつぶやく‥‥)
二階の部屋に案内され白いレースのテーブルクロスのかかったリビング、 広々としたベッドルーム、清潔感のあるバスルーム、磨きあげられたキッチンに調理道具ときれいな食器類が揃っているので安心して、なに不自由なく生活が、スタートできました。

 さっそく近くのスーパーCOOPへ晩ごはんの材料の買い出しへ今まで見たこともない野菜類 大きくて丸い茄子色とりどりのピーマン .何種類もあるトマトやフルーツに生ハム .サラミチーズ、さて今晩のメニューは?湯でたてのパスタ .サラダ .ポテトフライ .パン .ワイン片手に陽気にBuon Appetito!"(いただきまーす!)Menu(リガトーニ サルシッチョ サルサデポモドーロ .インサラータミスタ .パタータフリッタ)   イタリア最初の晩ごはんで〜す

 さーて今日から近場のオルヴィエート観光アメリアからバスが運行しているので往復券2枚買い朝755分のバスに乗車、運行数が少ないのでこの時間がベストかな⁉ 10分程走るとウンブリアの糸杉の木立の続く緩やかな丘陵一面に広がるぶどう畑.オリーブ畑、みどりの鮮やかさが目にまぶしく心地良い。
木立の中の曲がりくねった道のりを行くと急に視界が開け。平野の中にぽっかり盛り上がったオルヴィエートの街が現れてくる。駅前からケーブルカーで丘の上まで行き、町の中心のドゥオーモ広場まで10分ほどで歩いて行ける。
鮮やかなモザイクで飾られていた正面いつまでも見飽きないドゥオーモ(カテドラーレ).ロマネスク.ゴシック様式の建物でバルコニーのある正面が美しいポポロ宮その中庭で毎日開かれている朝市、賑やかに買い物している町の人々の生活が目に浮かぶようです。
のどかで人も優しく、中世の町並みの散策も楽しいし、小路には陶器のお店が並びおみやげ選びも楽しい、高台からの景色もすごく良くて感激しました。
それからレストランの食事もすごく美味しくトリュフを使ったインゲン豆の和え物.イノシシのサラミ.プロシュート.地元で取れた野菜の煮込みetcの入った(Antipasto misto)トリュフ入り自家製麺タリアテッレ(primo piatto)イノシシの煮込み.オッソブッコ(second piatto)食べやすいウンブリアの味、オルヴィエート白ワインも美味しく爽やかで若草の香りが素晴らしい。お店のオーナーらしきオジサンが嫌な顔せずに料理の説明してくれたり、話しかけてくれたりとサービスも味も満足しました。

 数日も過ぎると環境 気候にもなれ毎日が楽しく嬉しく(“ワクワク.ドキドキ“)次の観光地へ‥‥古代ローマ観光フォロ ロマーノ民主政治の中心.パラティーノの丘高級住宅地.コロッセオ円形闘技場を周り魅了してやまない官能の町、急ぎ足で見学しようと、真実の口サン ピエトロ大聖堂ヴェネツィア広場パンテオンナヴォーナ広場スペイン階段最後にトレヴィの泉後ろ向きでコインを投げ入れ再訪を願って祈り。初夏の日差しも厳しく、へとへとになり疲れ果てた智子さんは、プンプンちょっと歩かせ過ぎたかなゴメンネ‼︎ そうそう『すべての道はローマに通ず』という名言もありました、その道が、アメリアのローマ門を抜けた旧市街の途中にローマに通ずる遺跡道が有りました
感無量‥‥

 週末になるとアメリアからの移動のバスが少ないのでアメリアの町を散策、庭先に咲いている花々を眺めたり路地の香草(ローズマリー.セージ.ローリエ)etcを手にとり揉みほぐして香りを楽しんだり木々にふれたり土を踏んだりと癒やされ、朝日を浴び丘の上から吹き下ろす風にあたりながらウンブリアの景観と緑を駆け抜けていくジョギングも爽快いで心地良い。

 毎週末なかしらフェスタがあり楽しく過ごせるのもいい、散歩の途中にアメリア ワインのフェスタの会場を見つけ飛び跳ねて喜びました。旅の目的が美味しい料理をたくさん食べる事とワインを呑むこでもあったのですごく嬉しくなりました。また偶然にもマーラさんがフェスタの役員をされていて招待客として迎えてくださり各カンティーナを案内してくださったり、たくさんの美味しいワインを試飲させていただきました。
この地のワインをこの地で飲む醍醐味は、何ものにも代え難い。遠く離れた日本で、いつか足を運んだ人々を思って飲むワインも、格別です。日本では、飲むことのできないワインばかりで勉強にもなり、一本の瓶の中に造り手の努力と愛情が入っているのが伝わり感動と感謝でいっぱいでした。
『ウンブリア アメリア』に乾杯。

 北イタリア旅行記
一生に一度は行って見たいと思っていた憧れの町、時間が過ぎて行くのも忘れ歩き廻った街並みいつまで見ても飽きることのない憧れの水の都ヴェネツィア。
サン.マルコ大聖堂近くののサン.ザッカリア バァポレット2番に乗り大運河と外湾を巡り、有名な橋や建物、豪華客船もみられて楽しくなにか壮大な出来事が広がるような気分になりまた何度でも戻って来たいと思わせ魅力的だ

 若かりし頃、料理の勉強で勤めていたレストラン(LA.PECA)の在るヴィチェンツァ県、あの日の遠い昔の想い出を想い浮かべながら通り過ぎる(ロニーゴ)町を眺めながら次の目的地ヴェローナへ、シェクスピアの悲劇ロミオとジュリエットの舞台となったジュリエッタの家、ローマのコロッセオを小さくしたヴェローナのシンボル.アレーナ。修業時代いつも訪れていたBARTORATTORIA、なに一つ変わっていない街並み、辛く苦しかったあの日を想い浮かべ感傷にたり‥‥(少し涙)‥‥‥

 ファションの町ミラノ、ゴシック建築、空高くそびえ建つシンボルのドゥオーモに圧倒され溜息ばかり、またおしゃれなカフェが並ぶガラス張りアーケードの天井付近の絵画、舗道のモザイク模様の見事なものばかり、ガッレリア歌劇場の美しいスカラ座、不覚にも予約を忘れて観れなかった、レオナルド..ビンチの名画『最後の晩餐』‥‥‥

 観光地巡りもそこそこに、美味しい料理をたくさん食べました。もちろんワインも飲みました。子牛のカツレツ.サフラン風味のリゾット.オッソ.ブッコ有名な料理で美味しいのですが、なぜかミラノは魚料理が最高です、是非一度お試しあれ!!
ヴェローナは、ヴァカラ(干し塩鱈)の料理とポレンタが美味しい。馬肉の料理も有名かな?
ヴェネツィアは、魚介類の料理だったらなんでも美味しい特に新鮮魚介類のフリットがなんて言ったて一番(buono)!
北イタリアのワインも銘醸ばかりで呑みごたえがありました。

旅の中盤にもなるとイタリア語が耳に馴染んできて少しずつずつ聴きなれてきて、スーパーでの買い物とレジでの支払い計算がスムーズにいくようになってきた。
顔なじみの店員と挨拶Buongioruno .che cosa questa.posso pagare con la carta di credito.と言ったらWow Signora Grandeだってさおもわず大きな声でGrazie!
もっともっと話せたらBARでいつのおじ様達とエスプレッソを飲みながら楽しくおしゃべりしたかったなぁ~たくさん沖縄のおもしろい話しがあったのに‥‥
井戸端会議中のおば様達の中に入り料理の事や家事、たくさんお話したり歌ったりして楽しみたかったです。今度くる時までには、絶対に話せるように猛勉強しておくので首を長くして待っていてね、イタリアのおじ様 おば様たちぃ~

 マーラ家のみなさんとも親しくなりお昼ごはんをご一緒する機会がありました。
日ごろの感謝を込めてマーラ家と菊家をご招待して二人で沖縄料理とイタリア料理のコラボでおもてなし‼︎

"PRANZO DEL MENU"
* 沖縄ヒラヤチィー.マーラ家の自家製オリーブオイルと共に
* イタリア野菜のグリル .タッキーノ香草ロースト タリアータ添え
* 牛尾煮込みソースタリアテッレ.セージの香り
* 智子mammaご自慢のおきなわ風.肉じゃが
* 桃のアメリア赤ワインのコンポートconアンナさんの手ずくりババロア
* パン  .コーヒー

楽しくお昼のひとときを過ごさせていただきました。
智子さんの感想 :イタリアの食事ってにぎやかで楽しい〜
"あなたも負けていませんよ"()

日本に帰る日が近ずいて寂しさと懐かしさで感傷的に沈んでいるところ、菊家にご招待していただきました。すごく嬉しくかけがえのない思い出が築けました。
奥様のアンナさん 可愛らしいナオミさん、優しくお迎えしてくれて、有難うございました。家でいただいた昼食は、一生忘れる事はないでしょう。たくさんのまごころと愛情の入った数々の料理とても美味しくいただきました。
食事の前に頂いたスプマンテ 丹精込めて造られた赤ワインもまた格別です。
最高のおもてなしTanti Grazie

* 自家菜園のお野菜で食べる リコッタチーズとセロリのディプ
* 豆を煮込んだディプ
* 茄子とズッキーニのグリル
* プロシュートにサラミ
* お野菜の入ったリゾット
* 冷たいレンズ豆のスープ
* 牛肉のソテーのポルチーニ茸のソース
* ご自慢の赤ワイン

これぞイタリア マンマの味だねと二人で感動し感謝でいっぱいです。

その日の夕方に山上の旧市街に古代ローマ劇場や凱旋門、中世からの城壁やローマ軍が身体を癒した浴場跡、中世の都市構造を残した周密な街区、古代ローマ遺跡でのローマ軍戦死者を祀る行列のフェスタがあり観光では観るこのできない歴史遺産の町に案内していただきました。

 あっという間の一ヶ月でしたが、たくさんの愛情としあわせをイタリアの地でいただき何事にも代え難いすばらしい人々に出会い恩恵を受けたことを忘れることはないでしょう。
アメリアへ導いていただいた菊孝志 アンナ御夫妻 ナオミお嬢様、いつも笑顔で声をかけていただいたマーラ家のMamma .Papa'. Maraさん.アメリアのたくさんのみなさん、訪問先で親切に応対いただいた現地の方々に心から感謝申し上げます。

再訪の日には、智子さんは、もち前の明るさで言葉なんて、熱いハートがあれば要らないわよと、どんどん町の人の輪の中に入り友達になっていくことでしょう。(そう願います。)

もっともっと、イタリアを愛してほしいと思いました。
外国への扉がイタリア ウンブリアで開けたことを感謝します。

 別れの日 家の門先まで見送りハグしてくれたMamma. Mara さん、また待っているからねと、優しく声をかけてくれてありがとうございます。別れるのが急に寂しくなり、目頭が熱くなりました。

ORTE駅のホームから電車が見えなくなるまで見送っていただいた菊さんありがとうございました。

二人で再訪を誓って。

Naofumi
Tomoko


<ウンブリア長期滞在1ヵ月> 2013年4月

イタリアに住んでみたかった。ただそれだけの理由で一ヶ月という短い期間ではあるがお金を貯めて、22歳になったばかりの月に初めての海外に飛んだ。時間はあったはずなのに自分の性格上あまり語学を勉強していなかった。まずチェックインの仕方すらわからない初めての飛行機に慌て、英語やイタリア語のわからないアナウンスに慌てた。初めてのイタリアでの鉄道は切符を買うところから頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。
そんな感じでイタリアに来た一日目、ふと落ち着いて顔を上げて見渡したこれから一ヶ月住むアメリアの街。イタリア全土に言えることかもしれませんがバール、ジェラテリア、ピザ屋さん・・どれも当たり前みたいにそこにあって公園からは子供達の声。学校帰りの生徒たちがジェラートを食べながらバス停に向かっているのを見てはじめてイタリアに来たんだと実感した。
アメリアには素敵な古い建物がたくさんある。特に城壁の中は素晴らしい。2000年以上前の城壁の石の壁の中の町を行きたい時好きなだけ散歩した。ここでの有名な古代ローマ時代の井戸の中も静かで、深くて、素晴らしかった。
借りた家はマーラ家。住まさせてもらう各部屋部屋が綺麗すぎてネットも使えとても快適だった。上にマーラさんも住んでいるのでなにかあっても安心。ご家族の方々もとても優しく、大きなスーパーも近いので買い忘れがあってもすぐに戻ることができとても便利。素敵な家を借りれたことに感謝した。
さて、日を追うごとにしゃべりたい気持ちから少しづつイタリア語で喋れる単語も増えてきた。バスから駅までの移動、最初は『・・駅まで。往復で。いくらですか?』という言葉さえうまく伝えることができなかったが何日か経つと自然に言葉が出てくるようになりバスのおじさんに「ブラボー!」と言われふふふんと気をよくするまでにそこでの生活に慣れてきた。まずはじめに一人でローマ、素敵な建物達を巡り、その歴史の長さと素晴らしい街並みにうっとりし、別の日には菊地さんにサイトに載っているピアーナ、アグリツーリヅモに連れて行ってもらいワインを作るための広い広いぶどう畑と敷地の中にある親しみやすい素敵なレストラン、野生のアスパラガスなどに感動した。
そして自分の最も好きなことは食べることです。この一ヶ月の滞在の中に料理教室を入れてもらってマリアという女性に5回料理を教わった。パスタから付け合わせ、メイン料理にドルチェ。時にはパンを作り、もちろんパスタは手打ち。ご主人がその日とってくる飼っている鶏の新鮮な卵と山の中で散歩がてら見つけてくる黒トリュフ。最高の時期なアーティーチョークにホロホロ鳥、ポルチーニ茸・・・。あまりのすごさに唾を飲み込むほど。もちろん料理の味はさいっこーにおいしい。マリアの家族との触れ合いの中でご近所の方と会話をしたり孫のルッカとバスケをしたりと料理だけではない楽しい体験もあった。マリアと出会ったのはこれからの人生の中でもとても良い出会いだった。彼女の手から作り出される料理はどれも瞬きをしていたら見逃してしまうほど。魔法みたいだった。
日を追うごとに一人で行動する範囲が広がり・・まずナポリに二泊。また別の日にはヴェネツィアとフィレンツェにも行った。この一人旅も素晴らしい経験となった。ナポリではポンペイにカプリ島、青の洞窟を見て、帰りには有名なピザ屋さんで水牛のモッツァレラのマルゲリータを一人でビールと共に平らげた。ヴェネツィアの広場で聞いた音楽家達の曲と海と船、ゴンドラのコントラストが頭から離れず、バーカロを3件はしごしチケッティを食べながら現地の人と会話した。またフィレンツェのドゥオーモの上から見た夕方の景色は忘れられない。朝一番で見たウフィッツィ美術館も溜め息が出るほどだった。
この頃になるとアメリアに戻ってからも何度もジェラテリアとパスティッチェリーアに通った。まずはピスタチオ、ヘーゼルナッツに夕方にまた戻ってレモンとメロンとラズベリーを食べ、また次の日にはティラミスにイチゴ。パスティッチェリーアではカンノーロというシチリアのお菓子とスフォリアテーラという貝の形に似たパイ生地の中にクリームが入っているお菓子がお気に入りとなった。ジェラートの中で特に感動したのは・・黒トリュフのジェラート。これは隣のナルニの街でのジェラテリアなのだが。ジェラートに関してはちょっと寄り道感覚でほぼ毎日食べた。ピスタチオに関してはどこのジェラテリアが一番美味しいかを影ながら研究した。

なんとかなってきたイタリア生活。スーパーで生ハムもサラミも種類を言い、量り売りで買えるようになってきた。週に一度の朝市も楽しい。アーティーチョークやトマトにズッキーニ、肉を挟んだパニーノを買い、別の日には毎朝作りたてのモッツァレラを買うために早起きもした。
そして不思議な出会いと縁で現地での知り合いも増え、アメリアの街を一緒に散歩したりご飯を食べに行ったりローマに行ったり・・・一ヶ月も後半となると知り合った方々と特によく食事をした。家などに招待していただき、食べた食事もどこもアンティパストからプリモ、セコンド、ドルチェにカッフェ、そして美味しいワインがありイタリアの気さくな雰囲気とおしゃべりに癒された。とても素敵な時間だった。
ちょうどいいタイミングでの隣の街ナルニでのお祭りもあり菊地さんに案内してもらいながらナルニの街も探検した。ナルニという街は映画ナルニア国物語の見本となった街。小説も映画も見ていたので実際の話しの元となった大きな石や紋章の絵から作られた空飛ぶ動物、大理石の滝の話しなど実際見たり聞いたりするとほんとにナルニア国に入り込んだようだった。近くにはキリストが生まれる前からある有名な橋もある。お祭りは3つの地区に別れてそれぞれ出し物をするようだった。どこの地区も中世の香りがする素晴らしい衣装を着て石畳の上を歩く。お客さんもその分すごい人だった。晩にはお祭りの間2週間しか開かれない居酒屋的レストランに連れて行ってもらい石壁の素敵な雰囲気の中、周りのお客さんのお祭りの熱気のテンションと共に食べた猪肉のポレンタやメイン料理、ワインが絶妙にマッチした。
最初の不安は程遠くに、いざ来てみると感動の方がおもいっきり勝ってしまった一ヶ月。語学力のほうはまだ駆け出し程度だがこっちの人は身振り手振りでこちらがわからなくても一生懸命伝えようとしてくれる。自分も単語が出てこなくてもボディーランゲージとやらを使い伝えようとする。そんな感じでなんとかなってしまった一ヶ月。寂しさも感じることなくとにかく食べ物の美味しさに出会い、雄大な景色と建築物の素晴らしさに出あい・・・そして素敵な人々と出会えることができた。菊地さん、菊地さんのご家族のみなさん、マーラさん、マリアにリーノにルッカにニア。アグリのみなさんにえりさん。そして旅行先で出会った方々にアメリアの人たち・・。

書ききれないことのほうが多いが確実に言えることはまさしくもう一度イタリアに来るで あろう
今度来るときは生活する中で出て来た課題、 語学力であったりとか食べ物の知識(まだ全てのチーズやサラミ、生ハム、お菓子、パスタの種類、など覚えきれません)など日本でやることも分かった。食べ物は本当に美味しい。イタリアでのワインの葡萄の凝縮された味や食べ物に慣れてしまったら日本に帰ったときはどうすればいいのか???
日本に帰る最後の晩、お気に入りとなったピザ屋さんに行きマルゲリータとフンギ(きのこ)のピッツァを買い店の人たちに明日日本に帰ることを告げる。すると「またアメリアに戻って来たらいいさ」と。そしてまたアメリアでの最後のジェラテリアに行く。
そんな不思議で温かな気持ちを胸にこの一ヶ月の素晴らしい体験と、とてもお世話になった菊地さんに感謝しこの感想文を送りたいと思います。迷っている方がもしいらっしゃったら一回イタリアに降りたってみたらきっと後悔しない体験が出来ると思います。本当に素晴らしい体験をありがとうございました。またいつかお世話になった人たちに再会するためと、おいしい料理を食べるために絶対戻って来ようと思います。

出会いに感謝して。

有紀
   


2012年アグリツーリズモで労働研修、3ヵ月

『とにかくイタリアで暮らしてみたいと憧れていたことから、休学を決意してイタリアでの長期滞在の手段について探った。スローフードとアグリツーリズモをキーワードに、菊地さんのサイトがヒットし相談した。期間は、
6月中旬からの3ヶ月で最高の季節。アグリツーリズモ労働研修というプログラムも理想的。しかし、この時点で問題は2点あった。1つ目は、場所について。2つ目は、言語能力について。と言うのも、ウンブリアは、私にとって未知の土地だった。名前を聞いたことも無ければ、地図で指し示すこともできない。
そして、私のイタリア語会話能力と言うとCiao!」しか言えない状況だった。この2点について若干の不安はあったが、イタリアへの興味と「やる気さえあれば大丈夫です。」と言う菊地さんの言葉を信じて。最終的にはとにかく長年憧れてきたイタリアであるし、未知の土地は寧ろ面白いかというノリで決定!6月に渡航した。渡航前の問題点は、なんなくクリアし、ホームシックになることもなく、3ヶ月があっという間に過ぎた。そして、私にとって未知の世界だったウンブリアは、これぞイタリアという素晴らしい世界だと実感し、私のお気に入りの土地となった。
自然に、食に、街に、そして人に魅せられた。ぶどうの木やオリーブの木が続く高原、ひまわり畑が広がる大地。広い空は、日中はクリアな青色、夜には流れ星の観れる星空と様々な表情をもつ。
そんな素晴らしい環境の中、季節ごとの旬の素材を使って、時間をかけ、心を込めて調理されるイタリア料理は格別だった。メニューには、常に生パスタ、様々な種類の新鮮な肉料理、採りたて野菜のサラダに自家製ジャムを使ったケーキが並ぶ。本来の食のあり方がここには残ってると感じた。

近くにある街は、徒歩でも十分な私にとってはちょうどいいサイズ。花が飾られ、ロープで洗濯物が干され、生活感あふれる石造りの家がつづく。小ぢんまりとしてとても可愛らしい雰囲気がある。石畳の急勾配の坂がなかなか辛かったのは確かだけれど、すごく居心地が良かった。
そして、私のイタリア滞在を最高なものにしてくれたのは、間違いなくステキなステキな人々との出会いだった。気さくで、陽気で、優しくて。イタリア語会話能力ほぼ0の状態で突然現れた私に対して、一つ一つ丁寧に教えてくれた。毎日の仕事の仕方から食材や調理法について、ウンブリアの土地のことについて、様々な知識を得ることができた。

もちろんその過程でイタリア語の能力も徐々にアップした。時には冗談を言いあったり、本当にかけがえのない人間関係を築くことができた。私の生活は、朝起きてお掃除の手伝いをし、野菜を洗ったり切ったりし、昼からはレストランの給仕のお手伝いをして、カメラと共に散歩に出かけ、本を読み、夜にはvinocafeを共に人々との会話を楽しむと言った感じだった。

可能性に満ちて恵まれた環境の中、現地だからこそできる体験をすることができた。今では、自分の夢に一歩近づいた気がしている。

貴重な経験をする機会を与えてくださった菊地さん、piana delle selve のオーナーのクラウディオさん、スタッフの皆さん、滞在中に出会った方々に心から感謝しています。
そして、この私の経験談を「参考に」と読んでいただいてるあなた!すべてが豊かなウンブリアへ是非行ってみてください。あなたらしく楽しいイタリア生活を送ることができると思います。』

                                法子


『7月末から1ヶ月間、「アグリツーリズモで労働研修」でRIVOLIに滞在しました。
ハイシーズンだった事もあり、いつもほぼ満室の状態でした。

従業員の方だけでなく宿泊客とのやりとりもまた、楽しい思い出になりました。
もう少し話せたら(語学力があったら)もっと楽しかっただろうな・・・と後悔もありますが、その悔しさを忘れないうちにまた訪れたいと思っています。

一番の思い出と言うと、やはり食事でしょうか。
どれもおいしかったし、食事毎に食べる量が増えていくのがわかりました。満腹になったのに、次の食事までにしっかりおなかが空くんです。

空腹→おいしい食事で満腹→空腹・・・の繰り返し
あと一ヶ月長く滞在していたら、周りのイタリア人同様、ぽっこりおなかになっていたかもしれません。

さらに驚いたのは、最初は甘すぎると感じたドルチェも、日を追うごとに甘さに慣れていくこと!
日本では、スーパーやコンビニで好きな時にお菓子を買って食べていましたが、スポレートではそれが全くなく、甘いものはマンマ・マティルデとサブリナが作ってくれるお菓子でした。

「脱・日本のお菓子」となり、ひと月もしないうちに、パンナコッタチョコソースがけや、ヌテッラのタルトのファンになりました。

イタリア人的生活スタイルを味わいました。

もちろん、人々の温かさ・気さくさや、考えを主張するところ、子供を大事に扱うところなど・・・ツアーでは体験できない部分に触れることもできました。

この滞在の魅力は、ツアーでは絶対に経験できない、普段のイタリア人に近い生活が体験できるところではないかと思っています。
今回の滞在期間は日差しは強かったですが、8月の始めまでは気温が低く長袖が必要なくらいでした。
寒さは苦手ですが、次回はブドウやオリーブの収穫の時期に滞在し、秋のイタリアを感じてみたいと思っています』  (2011年9月)   K.A.


菊地孝志 様
(2011年6月23~7月1日 菊地家にホームステイとモザイクレッスン)

こんばんわ!!

菊地さん!ステイ中は大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。
8日間という短い期間でしたが、非常に充実のホームステイでした!!!
忙しい仕事を辞めて、少々ネガティブになっていた私にとって菊地さんファミリー皆さんの温かさに触れ、美味しいアンナさんの手料理や見たことのない広大で美しい自然、歴史的建造物に囲まれたナルニやアメリアの町、また本場のモザイクレッスン~全てが素晴らしく!!濃密な時間で、普段利用していた観光ツアーでは決して体験し得ることのない久しぶりに得た感動と心癒される旅となりました。
朝の鳥のさえずりや風で揺れる木々の葉音や、植物や果物から発せられる香りなどは正直・・・しばらく忘れていたものでしたので、この旅でそういった感覚を思い出せたことは大変ありがたく、うれしかったです。

このステイで充実感をフルに感じさせていただいたひとつに、アンナさんのとにもかくにも心のこもった美味しい手料理をいただけたこと!!です。どのお料理も優しい味で、とても癒されました。毎日、本当にほんとに楽しみでした!!(あのジェラートやパスタをもう一度食べたいです!)
また、菊地さんのお父様のヒロシさんとお逢い出来たことは、大変印象深く!、人間味溢れる素敵なお父様でもうそれだけでウンブリアに来て良かった!!と思える貴重な出逢いとなりました。

今回、菊地さんのホームページを見つけることができたことは、まさに幸運でした!!
この旅で出逢えた全ての方々に、心の底から感謝の気持ちで一杯です。
また、あらゆる面であたたかいサポートをしてくださった菊地さん!本当にありがとうございました。
菊地さんをはじめ、ファミリー皆さんのことが大好きになりました!!!
お別れの際に、列車が出発するそのときまで見送っていただいたことが、大変うれしかったですし、安心感をいただきました。
このご縁が繋がって、また出会えることを心より楽しみにしております。
皆様にもどうぞ宜しくお伝えくださいませ。

K.N.

PS:写真データーが膨大なので、贈り物を送る際に一緒に入れますねっ。
数枚だけメールに添付させていただきました。もっと菊地さんと写真撮りたかったなぁ・・・と今更ながらに思いました。


<アメリア滞在記>

2010年4月~5月 アパート1ヶ月滞在

 2年ぶりのアメリア。
出発前にアイルランドの火山噴火のため、中止も覚悟していたので、無事にアパートに到着したときは、本当にとてもホッとしました。
今回はGWだけ、主人もやって来るため、アッスンタ家のアパートに決め、ここは同じフロアのお隣に、大家のアッスンタさんが住んでいて、たいてい朝9時過ぎになると、「下でカフェ飲まない?」とお誘いがありました。
アパートの一階にある、家具のショールームで働いている娘さんに、毎朝カフェを入れてもらうのが、彼女の日課なんですね。

実は、以前は大家さんと離れたアパートを借りていたので、あまり気軽に訪ねられると、自分のペースが乱されちゃうかと思ったのですが、毎日何回か顔を合わせて、遠慮せず足りないものを分けてもらったりしていると、「やっぱり大家さんがお隣の方がいいかも」と、なんだか思えてきましたね。

主人が滞在した間は、菊地さんにガイドをお願いして、ノルチャとスポレートを訪ね、イタリアでも使える、日本語ガイドのカーナビ・ガーミンを購入した主人は、次にイタリアに来た時は、ガーミンがあればレンタカーを借りて、あちこちウンブリアの街を訪れるのも、きっと楽しいだろうと思ったようです。

家庭教師のクリスティーナが、フィアンセとガーデン・ランチに招待してくれた時は、森の中のお宅で、主人も自家製ワイン、チーズやサラミ、暖炉で焼いたグリルなどご馳走になり、自然の中で、家族や友人達との賑やかな食事を楽しんでいました。
ウンブリアの自然や周りの人達に接して、8日間という短い滞在でも、彼なりにウンブリアの良さを実感してくれたみたいです。

一人に戻ってからは、お隣のナルニのお祭りで、夜に行われる中世時代の行列を見に出かけました。
メイン会場や大通りはとても混雑していましたが、狭い路地からやってくる行列を、両側の建物の窪みに入って避けながら、間近で見学することができ、素晴らしい衣装や幻想的なムードにうっとりしてしまいました。
またアパート前の道が、世界3大自転車競技のジロ・デ・イタリアのコースなので、大家さん一家とバルコニーから見学。
スポンサーの飾りつけた宣伝車や自転車をたくさん積んだサポートカーなども面白くて、イタリアでは人気が高いから、ちょっとしたイベントなんですね。

それから今まで知り合った友人達に、日本料理を作った事もありました。(押し寿司や稲荷ずし、焼きそば、焼肉など簡単なものですが)調理中、興味津々で皆に間近で見られると、なんだかやりにくくて(笑)
女性陣からは「日本人は作業がすごく慎重で細かい!」って言われましたよ。

滞在中、他にはペルージャ・テルニ・オルビエート・トーディ・サンジェミニなど訪問。
アメリアでは自転車をお借りしたので、スケッチに出かけたり、図書館に通って好きな美術の本を眺めたり、のんびりと自分流に過ごし、大家さんから「ローマに一度も行かないの?ショッピングもしないの?」と言われるほど、どっぷりウンブリアに浸った一ヶ月。

周りの人達のおかげで、寂しいと感じたことは一度もなくて(笑)
大家のアッスンタ・マンマ、前のアパート大家のアンナ、教師のクリスティーナ、そのご家族や友人たちのおかげで、本当に楽しく過ごせた一ヶ月でした。

N.H

<アイちゃんからの感想文> 2009年6月
アグリ滞在2週間

 イタリアに行くのは初めてでしたが、思い描いていたよりも、ずっと環境の良いアグリでした。
手作りの食べ物やワインも非常においしく、アグリ内の人々も気さくだった為、すぐにリラックスできました。
,イタリア語にどっぷり浸かりながら、現地の生活を垣間見ることができて、とても新鮮でした。
滞在中にハートオブイタリー主催の日本フェスティバルに参加でき、現地の人と交流が持てたのも面白かったです。
 オーナー夫婦が英語を話せる点と現地のエージェントが日本人だったので、助かることが多かったです。
また機会があれば、短期間でも訪れたいと思います。          
                                              藍

<アグリ研修3ヵ月> 2009年4月~7月

 早朝のローマ空港に到着。早速、菊地さんとの待ち合わせのOrte駅まで向かう。到着までは約2時間。
乗り過ごししてしまわないかとずっと、ドアのところで立っていた。
Orteの看板が見えた。
さあ、いよいよだ。実はこの時、本当に菊地さんがいてくれるか心配だった。日本からはネットだけの契約で手続きを進めたけど、大丈夫だよね?と考えていた。
するとHPで見た男性が近付いて来て、声をかけてくれた。その方が菊地さんだった。
その瞬間、また一歩イタリアでの生活が近付いたような気がした。アグリへ向かう車の中から物語に出てきそうな家々が並んでるのが見えてきた。私、ホントにイタリアに来たんだぁ。やっと夢見てたイタリアの生活が始まる!!
AGRI PIANA」の看板とまっすぐ続く白い道が見えて来た。「もうここから全部アグリだからね」と言われて、一段とドキドキした。と、突然視界が開け広い広いぶどう畑や動物、その先のかわいらしい建物が見えた。私のアグリのイメージそのものだ。ここに生活するのかと思うと嬉しくてどうしてていいのかわからないくらいだった。

 中に入ると、若い女性がアグリ中を見渡せる部屋を案内してくれた。菊地さんと一緒にクラウディオを始めたくさんの方と挨拶をし、アグリの案内をしてもらった。その後、菊地さんとはしばしのお別れを告げ、いざイタリア生活がスタートした。

 毎日見るもの、食べるもの、会う人、全てに感動して、来てよかったぁぁと喜びを噛み締めてた。特に食事に関しては、とにかく「普通のパスタ」がおいしい。こんな書き方とするとおおげさに聞こえるかもしれないけど、例えばトマトのパスタやズッキーニとパンチェッタだけのパスタがびっくりするほどおいしい。オイルたっぷりなのに、全然しつこくない。日本で食べていたパスタやオリーブオイルはなんだったんだろ。。と思うくらいだった。そして、このアグリは何と言っても赤ワインを作っていてこれまたおいしい。イタリア式?に水で割って飲むと飲みやすく、キッチンのスタッフはジュースのように飲んでる。(もちろん酔ってしまうのは私だけ…)前菜から始まり、パスタ、肉料理、サラダ、ドルチェ、コーヒーでフルコース。おいしくて毎食食べ過ぎ状態で何日か幸せに過ごしていたほどだった。

 その一方、私のイタリア語生活はほぼゼロの状態からのスタートだった。「おいしい」「おなかいっぱい」「何歳?」「これは何?」とにかくこれらのフレーズを覚えてひたすらいろんな人に使っていた。電子辞書とノート、ペン、デジカメを毎日持ち歩いていた。また、アグリには元気はつらつの子供たちが二人いて、初日にアンドレアがすごい勢いで自転車で近付いて来たかと思うと、私の目の前に立ち丁寧に自己紹介をしてくれた。残念ながらその時の私にはほとんど理解できなかった。すると、ちゃんと私の様子を理解してくれたらしく、ゆっくり言い直してくれた。スーリアも後から恥ずかしそうに名前をポソっと教えてくれた。初顔合わせを終え三人で歩いていると、アンドレアが道ばたに咲いている野花を集めてプレゼントしてくれた。「わー!嬉しい!さすが、イタリア。男の子は小さいときからこうなのねぇ。」と思いながら散歩していた。するとほどなくしてこの子たちの「元気スイッチ」が入った。ニワトリを後ろから素手でバッと捕まえて、それを「飛べ~!!」と言わんばかりに高く放り投げたり、お母さんお手製のハンモックに飛び乗り私の上から降り掛かって来たり、そうかと思うと突然サッカーが始まり私がキーパー役になってたり…。こうやって、アグリ中を駆け巡っているうちにあっという間に仲良しになれた。

 楽しくスタートしたアグリ滞在も1ケ月半を過ぎた頃、ちょっとしたことから気持ちがふさぎ込んでしまった。(今ならちょっとしたことと思えるが、当時はどうしてよいのかどうしたいのかわからなかった…)誰とも会いたくないし、話したくない。意志疎通がうまくできない。イタリアに来たくて来たのにイタリア語がわからず、結局理解できたのは英語で話されたとき。わからないという不安と全然覚えられてないんじゃないかという不安から頭の中でイタリア語がグルグル回ってた。

 実際は誰とも話したくないんじゃない。むしろ、めちゃめちゃ話したい!話したくてたまらないのに自分の言いたいことが言葉でうまく表現できない。英語でさえも。思ってる事が言葉にできないってこんなにももどかしくて苦しいのか、と初めて思った。普段日本では、なにも気にせず話していたことがこんなに難しいことだったのかと痛感した。クラウディオ始め、アグリの人たちはみんな私のために、といろいろ考えてくれてる。それは、ものすごく伝わってくる。だからこそ、余計に苦しかった。菊地さんに相談するとクラウディオに私の気持ちを伝えてくれた。

 その晩、これからどうやっていけばいいんだろう、と、いうより私自身どうしたいんだろう、と考えていた。私はすぐ遠慮しすぎてやりたい事あるのに、言ったらわがままになっちゃうかな、と考え過ぎてしまう癖があった。菊地さんに対してもこの日初めて思っていることを全部話せたような気がした。なんとなく、菊地さんにも頼り過ぎてはいけないと勝手に思っていた。だから、話したことでずいぶん楽になっていた。ふと、「私自信がみんなに心を開いてないんじゃない?」という思いにたどり着いた。とりあえず、思った事をなんでもいい、ちっちゃい事でも伝えてみよう。と思った。言葉がわからなくても、態度でもっと表現してみようと思った。

 すると、次の日から途端に心が軽くなった気がした。みんなとも急に仲良くなれた気がした。もちろん私のイタリア語能力が急にあがったわけじゃない。ただ、嬉しいときに嬉しい!おいしい時においしい!の感情を顔で、行動で出してみただけだった。それまでは難しく考え過ぎていたのかもしれない。私のアグリ生活の中でこの日は決して忘れられない日となった。みんなの話してる事が、なんとなく雰囲気で少しだけつかめるようになったのもこの頃からだった。

6月に入るとアメリアで菊地さん主催の日本フェスタもあり、アグリへ日本からのお客様がいらっしゃったり、私も遊びに来てた友人と南イタリアへ小旅行に行ったりと、あ!という間に毎日が過ぎて行った。
 日本フェスタではイタリアの文化的な建物の中で茶道や折り紙を行い、イタリアの人たちが興味深げに見学し一緒に体験してくれた。私も日本舞踊など初めて拝見させてもらうものが多く一緒にワクワクしながら見学していた。当日はたくさんの観客が参加してくれて、日本文化が遠く離れたイタリアでこんなにも興味を持たれていることも初めて知った。そこで出会った日本人の方々ともきっと何かの御縁だと思う。それぞれ、イタリアが大好きな方やヨーロッパを巡ってる方、老後の楽しみだと長期滞在してる方、実は日本ではすごくご近所さんだった方、このフェスタのために来られた方。ほぼ初めて会う人たちが一つのフェスタを通じてイタリアに日本文化を広めただけでなく、私たち自身の交流も深めてくれた。

 フェスタが終了すると、いよいよ私のイタリア滞在も二週間を切っていた。アグリによく来てくれる人たちから「いつ帰国だったっけ?」「次来る時はまだいる?」と聞かれるようになって、本当に帰国の日が近付いているんだぁと感じていた。毎日がすごい勢いで過ぎていく。そのせいか、日記が追い付かなくなってきた。
 
 私はアグリ滞在中に、キッチンで見たものをどんどん書き留めていた。何を食べてもおいしい食事をなんとか自分でも作ってみたかったのと、何と言ってもイタリア本場の料理を目の前で見られる、覚えられる、私も作れるという贅沢な環境をなんとか形にしてとっておきたかったのだ。あとは、イタリアと日本の違いを感じたときに書き留めていた。日常の何気ない時間にも新発見はたくさんあった。例えば、じゃがいもの皮むきを頼まれもくもくとやっていると「どうしたの?疲れたの?」と聞かれた。きっと私が黙って作業していることに心配して声をかけてくれたのだろう。私はバイトや仕事の癖で無意識のうちに作業はもくもくと取り組むものだ、と思っていたのだろう。しかし、そう声をかけられて気付いた。そう言えば、ほかのスタッフは誰一人として黙ってない。大声で話していたり、歌ったりしている。鼻歌のレベルではない。カラオケばりに歌っている。歌謡曲らしいものを歌っている人に混ざって「じゃがいも~♪じゃがいも~♪」と即興で歌っている人もいる。とにかく賑やかで、料理をしながらとても楽しそう。そして、つまみ食い。これまた量が半端じゃない。日本でなら軽く一食分はあるくらい。最初の頃はこのつまみ食いで、お腹いっぱいになり断ることも多かった。しかし、心配なく滞在期間中に自然とみんなと同じ量を食べれるようになっていた。菊地さんにもイタリア人らしい体格になってきたね、と言われるまでになった。

 私はアグリで滞在するにあたって決めていた事があった。それは、「とりあえずなんでもやってみる」「とりあえずなんでも食べてみる」「マネしてみる」の三つである。これを行うことでみんなと仲良くなれたし、会話も生まれて、本当にたくさんの事が経験できたと思う。
 例えば、アグリに来ていた40人くらいの団体さんからお誘いいただいて、夕食をご一緒させてもらったり(もちろんクラウディオの許可を得て)、スタッフで食事のときは食べ方をマネしてみたり食後のコーヒーも同じような飲み方で飲んでみたり、キッチンで食べてみる?と黒いコロンとしたものを出され、「これ何?」と聞いたのもの単語の意味が分からずとりあえず食べてみたり(後日、豚の肝臓?をその他の内臓で包んで焼いたものと判明。作っているところを目撃し、衝撃的だった!)、おそらく数日前までは元気に走っていただろうウサギを丸焼きにして、かぶりついたり、豚の解体を朝起きたすぐに見学しに行ったりしていた。
 食べ方や行動をマネすることで私もイタリア人っぽい?溶け込んでる?と思えた。そして、日本にいるとなかなか(ほとんど)経験できなかったことや、きっと「いいです。いいです。」と断っていたような事も「とりあえずなんでも」と思い行動していた。
 だからこそ体験したことの全てが、滞在していた一日一日が、素晴らしい思い出となり、また私の人生経験を豊富にさせてくれた。

 それは「日本の良さ」「イタリアの良さ」を改めて知り、また普段の生活を考えさせてくれるきっかけになった。日本文化の素晴らしさを改めて知ったことはもちろん、お米を食べておいしくて泣いたのは初めてだった。体調を崩して何も食べられなくても、自然とお米はノドを通る。私はやっぱり日本でこれを食べて成長したんだ、と強く強く感じた。電気や水道も当たり前のように、常に一定で使える。これも今まで当然だと思って生きて来た。会社では人の少なくなったオフィスもこうこうと電気がついている。コンビニの普及や企業の休日減少にともなって、段々不便と感じることすらなくなってきている。むしろ、便利さの有り難みに気付いていなかった。スーパーでは異様なほどまっすぐな野菜しか売っていない。
 一方、イタリアでは日本の働かざる者食うべからずとは逆に、食事は全ての人が摂るもの食べなければ働けないという考えの基、食品類には消費税がない。人とのつながり、家族のつながりを重視する。会えたこと自体に喜びを表現したり、感謝の気持ちはちゃんとしっかりそしてたっぷりと伝える。おあばちゃんの誕生日に親戚一同約30人くらい集まりお祝いする。これは、私の滞在中に何度もアグリで見た光景だった。子供に対しても大人同士でもちゃんと面と向かってしかったり、意見を言い合い、抱きしめてハグして愛情を表現している。
 これらを感じ、考え、私のイタリア生活最終日の日記にはこう記してあった。
「本当にあっという間だった。みんあとも素晴らしい思いでが出来たし、何よりも私の中ですごい経験になった。よく頑張りました。周りのみんなの支えがあったからこそ。言葉が通じる通じないというよりもその前に人と人で通じ合えることなんて本当たくさんあることも痛いほど感じた。感謝しきれないくらい山のように気持ちがいっぱい。本当に幸せに過ごせました。ありがとう」
 三ヶ月の間、気持ちがふさぎ込んでしまったり、じんまんしんが出たり、どうすればいいんだろう…と悩むことも多かった。でも、これが生活するっていうことなんだと思った。日本にいても何かと悩み考え生活している。ただ、同じ三ヶ月でもイタリアでの滞在は得られるのもが本当にたくさんたくさんここには書ききれないくらいあった。長期滞在だからこそ感じられたもの。アグリだから感じられたもの。イタリアだから感じられたもの。日本へ帰国する日、帰国してしまうのが信じられないと思うほどになっていた。ここにいる人たち全員が私の家族だった。必ず戻ってくると約束をして、飛行機に乗った。

イタリア生活で本当にお世話になった菊地さん、クラウディオ一家、アグリスタッフのみんな、お客さん、その他多くの全ての方に感謝しています。
ありがとうございました。
                                           藤田美代子

<アメリア滞在記> 2008年6月

今年また大好きなウンブリアにやって来ました。

思い返して見ると、菊地さんのお世話になり、初めてウンブリアで短期ホームステイを体験したのが、4年前。
それからすっかりここが気に入ってしまい、去年の春は、アメリアの
アパートに一ヶ月滞在し、イタリア語を習うプログラムに参加。
その時に知り合えた人たちと、ちゃんとイタリア語で会話がしたいと、帰国してからも、イタリア語の勉強を頑張り、半年後の秋に再訪。そして今年が4回目。

今回は今まで借りた旧市内のアンナベッリ家のアパートが使用中のため、新市街のアッスンタ家のアパートとなりました。
広くてモダンなアパートですが、怖がりの私には少し広すぎたようで、真夜中、廊下を歩く時にガラス扉に映る自分にドキっとしてしまいました。
(寝室からリビングまで廊下を歩いてみたら、なんと35歩もありました)
とにかく自宅より広い間取りなので、一人ではもったいなくて。ここのリビングなら、友人を呼んで日本食パーティーもできますね。
またなんといっても、アメリアの街を一望できる広いテラスが素晴らしい!
毎日、夕暮れや夜ライトアップされたアメリアの旧市街を眺めたり、そこで読書やスケッチをしたり、つい気分良く歌まで歌ってしまいました。
またすぐ隣に大家のアッスンタさんがいるのは、とても心強く、彼女のイタリア語は癖があるのか、私には聞き取るのが難しかったのですが、いつも「何か足りないものない?」と気にかけてくれ、私がシャンパンが好きと知ると、プレゼントしてくれたり、日曜のお昼には家族とのランチに招待してくれました。

また前の大家のアンナさんとは、メールや手紙で交流を続けていたため、今回の滞在は彼女のアパートではないのに、食事やお茶に誘ってくれたりと、とても良くしてくれて、本当に感激しました。
彼女のアパート、アンナベッリ家は旧市街にあり、バスで帰ると坂を登らないといけないのですが、古い建物を眺めながら歩くのが好きなので、自分の街(アメリア)に帰ってきた実感がありました。
ウンブリアの景色を見下ろせる場所も近くにあり、そこが私のお気に入りでしたし、こちらは私には調度よいサイズで、自分の家のようにリラックスできました。
今度アメリアに来る時は、どのアパートにするか迷ってしまうかもしれません。

アンナさんのご自宅は旧市街から離れた、とても素敵な所にあり、今回は彼女の家で、顔馴染みになった彼女の友人も招き、アジア料理を振舞いました。
メニューは、稲荷寿司・サーモン手巻き寿司・カレー(甘口)・焼肉・杏仁豆腐にし、テーブルには祝箸や、各人に違う折り紙を折って飾ったり。海苔やカレーを食べてもらえるか心配でしたが、一通り食べてもらえてホッとしましたね。
とにかく私が出会ったウンブリアの人たちは、皆さん穏やかで親しみやすく大好きです。

それから滞在中に、フィレンツェに旅行に出かけたのですが、駅から出たとたん、排ガスや空気の悪さに気分が悪くなってしまい、アメリアにすぐに帰りたくなってしまいました。
観光や買い物などは、確かに楽しいのですが、治安も心配でリラックスできないので、ウンブリアに戻ると、本当にホッとしてしまいました。

モッツァレラチーズを毎朝作っている店・切り売りピザの店・チョコとワインの店・自家製ジェラッテリアや、生パスタの店など、どんどん自分のお気に入りのお店が増えるのも楽しくて、、、
きっとまたアメリアに戻ってきます。

その時はまた、どうぞよろしくお願いいたします。
                                                 N.H.


菊地さん、今晩は。町田です。
              2008.5.24~8.24ジュリー家滞在中

紀行文の第一回目をお送りします。

日本のOさん、Aさんへ

今回のイタリア長期滞在は、1979年の某日、読売新聞に載った「世界の住宅事情」という記事で「ヨーロッパの住宅が、極めて安く手に入る」という情報を得たことがきっかけでした。
当時日本では、東京都内への通勤圏で、2200万円では中央線、武蔵境駅下車徒歩15、100㎡の土地に70㎡の総2階の家しか買えないのに比較し、イギリスではロンドン郊外100Kmで急行での通勤範囲にある場所が、5000㎡の土地に、660㎡の館、イタリアでは、ローマ郊外20Km167㎡の居住区60㎡のベランダ付が買えるとのことでした。このころから、「定年後は海外で」の記事が目立ちはじめ、漫画家の故おばまひろし氏が数年間のスペイン滞在記を出すなどして、一層の関心を私の心に芽生えさせ始めました。

化粧品会社の勤務時代に、イタリア駐在員との連絡がバカンス時期には40日近く連絡が取れなくなるなどのこととか、1986年に発表された「世界経済の均衡発展のための日本の経済政策の歴史的転換」を目指したいわゆる「前川リポート」(輸出経済から、内需拡大経済へ)に端を発した通産省の「定年後は海外で」という「シルバーコロンビア計画」なども私の夢に拍車をかけました。

住む場所はイタリアと決めたのは8年前。長女が、シエナ出身でローマ大学在学中の青年、アンドレアを私に紹介したことがきっかけでした。
また、2003年にナポリ大学在学中のマリアと横浜スタジアムでの中村俊介の帰国凱旋試合で知り合ったこともイタリア行き願望に拍車をかけました。

そして、イタリア語を習い始めてから二年半、三代子さんと現地下見に訪れてから一年が過ぎてやっと私の「定年後はイタリアで」が実現しました。三代子さんは、日本を私と一緒に立ちましたが、勤務のため六日間の滞在で、帰国しました。

さて、前置きが長くなりましたが、私の生活しているアメリア(Amelia)の街を紹介します。
ローマから内陸部へ電車とバスを乗り継いで約一時間半、なだらかな丘の上、標高約350mの位置にある、アメリアという街が私の暮らしている所です(写真287)
アメリアはローマのあるラッツオ州の隣のウンブリア州(その州都はペルージャ)に属し、アッシジ、ペルージャ、オルヴィエートなど、世界的に有名な街がある州です。
ウンブリア州はその隣があまりにも有名なトスカーナ州であるために、その影に隠れていますが、実はウンブリア州はアッシジ、ペルージャに代表される世界の中でも最も景色の良いところと本に書いてありました(和辻哲郎著「イタリア古都巡礼」岩波文庫)
(
写真013)は本の内容を裏付けるような、アメリアの最上部にあるカテドラルの庭から見たアメリアの郊外です。
アメリアの人口は1.1万人ですがその中で、今は日本人が私と、それに滞在の世話をしてくれているこの町在住の菊地家一家だけだそうです。
ここアメリアの植生は日本のそれと、とても良く似ています。例えば今の時期の花では、アジサイ、夾竹桃、それに野生の赤のポピー。空気は乾燥していますが、6月中旬までは適度のお湿りが、天気の良い日でも夕方になると毎日あり、花も、緑もとても豊かです。

次に2000年以上の歴史を持つアメリアの町並みの様子をお知らせします。
ローマ時代に造られた旧市街は、山の上にあり、その入り口がローマ門です(写真066)
ローマ門を過ぎた旧市街の街は、今でもお店が何百年もの間、代わり映えしないままの石造りの建物の中で、営まれています

一方旧市街の中の住宅地は閑静な環境の中にあります
(写真051)
そして裏門地域は圧巻です。ローマ市内に流れ込むテレベ川上流の渓谷が造る断崖絶壁にこんな城壁が造られています(写真040)

617日以降は完全に夏の気候になり、連日天気の良い暑い日が続いていますが、湿度が低いので、日陰に入れば涼しい風が通り抜けます。

また夏至近辺のこの時期は、日の出が6時と東京に比べると大分遅いのですが、日の入りは21時過ぎ、完全に暗くなるのは22時以降と、日照時間は同緯度の札幌と同程度となっています。

Oさん、皆さんから頂いた靴で、ミラノに住むイザベラには、スイスとの国境近くの世界一短い駅名の「RE」という駅に、スイスに通じる国際山岳登山鉄道で案内してもらいました(写真087)またマリア(写真136)には、古今東西、世界の富豪が集まるカプリの島を案内してもらいました。2000年前には初代ローマ皇帝が別荘(写真130)を、そして今は、ビル・ゲイツが島内で最大の遊覧船(写真193)を湾内に浮かべています。

Aさん、京都でイザベラと共にお世話になったマリアは、京都で見た蛍のことを良く覚えていました。そして二人とも今では、一日も早く幸せな家庭を持てるようになるために、各々の彼を応援しながら、自分の仕事にも一生懸命に取り組んでいるようでした。

秋葉原の事件は、つい最近知りましたが、七人の死亡者が出たような大事件とは知りませんでした。時代に閉塞感があることの象徴的な事件ですね。生きることに希望を持つ人間には出来ないことです。ジャーナリズムも含めて厳罰主義だけに走ることなく、正しい分析と世の中対策が必要に感じます。
また東北にも大きな地震があったそうですが、次々と続く大きな事件もこの地にいると、不謹慎かもしれませんがあまり気になりません。
借家の庭には蛍がまだ飛び交っています。身近に自然を感じていると、殺し合いとか、お金儲けなどのことが遠い世界のことのように感じます。

長くなりました。今回はこれで終わりですが、次回は6月の20日~22日に行われたアメリア旧市街商店街主催の夜の楽しい夏祭りの様子をお知らせします。

                                      ではまた町田弘道


<アッスンタ家滞在記>  2007年12月5日~16日

 春に続き今年2度目のアッスンタ家訪問です・・・
もうすぐ77歳とは思えない元気たっぷりのアッスンタマンマの大きな声での出迎えに、「あぁ、Ameliaに帰ってきたんだぁ・・!」と実感。お互いのほっぺにチュッ☆

この家に初めて訪れたのは半年前、今年の春でした。
約2ヶ月の滞在でこのFamigliaが大好きになり、またみんなに会いたくなりイタリアのクリスマスを見てみようと半年ぶりのAmelia帰還となりました。
家族はアッスンタマンマを筆頭に3世代の総勢10名。
マンマの娘さん夫婦・息子さん夫婦、に子供達5人。みんなみんな素晴らしく親切です!

朝、9:30頃のマンマの「コーヒー飲む??」のお誘いからAmeliaでの1日が始まります。
今回はAmeliaに里帰り(?!)の私の為に私が大好きだったオレンジのケーキを焼いて待っていてくれたのに始まり、仏教の国から来た私の為にキリストの国のクリスマスを教えてあげようと、いろいろ説明してくれたり(宗教的なイタリア語はかなり難しかった(-_-;))、
マンマの娘さんのジュゼッピーナの家でクリスマスツリーとプレゼーピオの飾り付けを私も一緒にやらせてくれたり、教会の大きなプレゼーピオを見に連れて行ってくれたり・・とその他たくさん、日本とは全く違うイタリアの一般家庭のクリスマスをたくさん味わうことができました。本当に有難い温かいファミリーです(^.^)
家族みんなの心温まるおもてなしの数々に、本当に心底満たされる日々でした。

アッスンタマンマは「私は香織の2番目のママだよ」とかゆい所に手が届くほどにあれこれと面倒を見てくれます。本当にイタリア人気質の元気で優しいマンマです。
私も本当のママのように甘えられます。
娘のジュゼッピーナも息子のマウロも本当に妹のように可愛がってくれ、その子供達もほんとにカワイイ子達です。
それもこれも、ガイドブックには載っていない観光地でない小さな田舎だからこそのぬくもり・温かさなのかもしれないですね。
街の人はみんな親切で、時間がゆっくりと流れている、この小さな田舎街のAmeliaが私は大好きです。
私のふたつめの家族、私にとってのイタリアの故郷Ameliaにめぐり逢わせてくれた菊地さんには本当に感謝しています。
次はいつ行こうか(帰ろうか?!)もう次回の里帰りが楽しみです!

最後に、
ジュゼッピーナが私に復唱させて教えてくれた言葉・・・
                「lascio ad AMELIA il mio cuore…..」
                私の心をAmeliaに置いていくよ(だからまた絶対来るよ)
                                         (大野香織)


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