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一つの地名としての認識でしかなかったアメーリア。ほんの30日間の滞在でしかなかったその街が、あたかも故郷のように私の脳裏に焼き付いてしまった。 あのボリューム感たっぷりのビフテキを、もっちりしっとりのモッツァレラチーズを、もう一度、ワサビと醤油で食べたい。そして、反時計回りの赤ワインの香りが、鼻から脳に届いた途端に、全身が痺れる感覚を、もう一度、味わいたい。 オリーブ、ぶどうと糸杉に彩られたウンブリアの野を吹きぬけて来た爽やかな風を、肌に感じながらベッドに横たわり、日本にはない青空を、もう一度、ゆっくりと眺めたい。 CO-OPで買った牛乳、ジュース、生ハム、牛肉、野菜、メロン、赤ワインの入ったリュックを背負い、陰を求めながら坂道を登る途中のカフェで休憩して、汗を拭きながら飲んだエスプレッソ。これが0.9€。ラム酒漬けのきのこの形をしたドルチェ。これが1€。もう一度、食べながら飲みたい。 理解できないJapaneseジジに根気よく説明してくれた博物館受付の美女。カフェで、いつも優しい笑顔で、エスプレッソを淹れてくれたフレンチ風の美女。下手な英語で、真空パックにできるか?と尋ねるJapaneseジジに対し、首を傾げながら、笑顔で応じてくれたチーズ屋の美女と、もう一度、話したい。 ベネチアとフィレンツェへの小旅行からの帰りの夜10時、ナルニ駅で来るかどうかわからないバスを待つ時の不安感。同じ列車で降りた男性に、「Vorrei andare a Amelia!」と言ったら、自分もそこに行くところだと答えてくれ、バスの時刻を確認しあった時の安堵感。バスの中で日本のお菓子、「柿の種」をプレゼントし、思わず握手を交わした交流感。もう一度、体感したい。 極めつけは、今日がアメーリア最後の夜という日に、ナルニ郊外の10㌶の山林と農地の中に佇む菊地邸の庭でいただいたランチ。モッツァレラチーズにトマトを載せた前菜から始まり、スパゲティ、サラダ、ポークステーキ・ポルチーニとトリュフのソース添え、デザートのケーキ、すべて奥様、アンナさんの手料理に菊地さん自家製の無添加赤ワイン。(イタリアでの、初めてのコース料理でした。) 数日前に、菊地家の一員となったトリュフ犬、リリーは、もう遁走せずに、8匹の猫達と仲良くなれただろうか? 5.7.2018 連日続く雨のため、避難警報が鳴る北九州市より Yasu&ho |
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ウンブリアで1週間のホームステイ 2017年9月 海外旅行の場合、行く先々で出来るだけそこに住む人達との交流が出来ればよりその地の実際の生活を知ることができ、充実した旅ができるのではとの思いから、何年か前からホームステイ+自由旅行のような旅をするようになりました。 ![]() 敷地は町からかなり高い場所にあり、庭の端にある洗濯物を干す場所からの広大な眺望はとくにすばらしく、近隣の丘や町が一望でき、その向こうにはイタリア半島を縦断するアペニン山脈を遠くに望むことができます。 イタリア人ご夫婦の家庭ですと、イタリア語はまったく話せず英語もやっとの我々としてはホストファミリーとのコミュニケーションに苦労することになりますが、菊地家では日本語が通じるので、我々にとっては大変有難かったです。 奧さんのアンナさんも英語はもちろん、日本語もかなり話すことができました。子供達はロンドンとローマにおり留守でしたが、庭で飼われている5匹の猫がとてもかわいかったです。 ここに滞在中ご主人の案内で近くのナル二の旧市街や近隣のサンジェミニ、アメリアなどの町を訪れました。このあたりはどこの町もローマ時代以前から2000年以上の歴史を持ち、中世の時代までは敵からの攻撃に備えて、旧市街は山の頂上近くにあり、さらに城壁で囲んでおり、現在もほぼそのままの姿を残しております。 菊地家ではその敷地内に広いオリーブ畑やぶどう畑を持っており、オリーブは収穫したあと、近くの工場でオリーブオイルにし、無農薬で混ぜ物のない純粋のオリーブオイルとして食卓に出てきます。 ![]() 滞在中、世界遺産のアッシジとフィレンツェにそれぞれ日帰りで行ってきましたが、このための列車の手配や美術館の入場予約など、さらにホームステイ後の自由旅行の列車やホテルの手配などいろいろと菊地さんにお願いし、すべてスムーズに進めることができました。 菊地さんご夫妻にはいろいろとお世話になり改めて有難うございました。 滝谷昭勝、順子 |
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まずは人込みに交じって入国審査、取り急ぎ宿泊先のアメリアへ習いたてのイタリア語で切符二枚を買い最寄りオルテ駅まで2時間の電車旅、車窓からは大自然のパノラマが広がる眺めに初夏の風景と景色に釘ずけになり癒やされ嬉しく涙がこみ上げてくる。 初めてお逢いする菊地さんと駅で待ち合わせ、これからお世話になるウンブリア・アメリアの宿泊先マーラ家へ案内してもらい車中で色々とアメリアでの過ごし方を優しく説明していただき私達の不安を取り除いてくださりありがたく感謝しています。 マーラ家に到着するとマーラさん
お母様 お父様みなさんでお迎えくださり嬉しく心温まりみなさんのぬくもりが忘れられません 。(本当に良かったと心でつぶやく‥‥)
旅の中盤にもなるとイタリア語が耳に馴染んできて少しずつずつ聴きなれてきて、スーパーでの買い物とレジでの支払い計算がスムーズにいくようになってきた。
"PRANZO DEL MENU" 楽しくお昼のひとときを過ごさせていただきました。 日本に帰る日が近ずいて寂しさと懐かしさで感傷的に沈んでいるところ、菊地家にご招待していただきました。すごく嬉しくかけがえのない思い出が築けました。 * 自家菜園のお野菜で食べる
リコッタチーズとセロリのディプ これぞイタリア
マンマの味だねと二人で感動し感謝でいっぱいです。
再訪の日には、智子さんは、もち前の明るさで言葉なんて、熱いハートがあれば要らないわよと、どんどん町の人の輪の中に入り友達になっていくことでしょう。(そう願います。) もっともっと、イタリアを愛してほしいと思いました。 ORTE駅のホームから電車が見えなくなるまで見送っていただいた菊地さんありがとうございました。 二人で再訪を誓って。 Naofumi |
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『7月末から1ヶ月間、「アグリツーリズモで労働研修」でRIVOLIに滞在しました。 ハイシーズンだった事もあり、いつもほぼ満室の状態でした。 従業員の方だけでなく宿泊客とのやりとりもまた、楽しい思い出になりました。 もう少し話せたら(語学力があったら)もっと楽しかっただろうな・・・と後悔もありますが、その悔しさを忘れないうちにまた訪れたいと思っています。 ![]() 一番の思い出と言うと、やはり食事でしょうか。 どれもおいしかったし、食事毎に食べる量が増えていくのがわかりました。満腹になったのに、次の食事までにしっかりおなかが空くんです。 空腹→おいしい食事で満腹→空腹・・・の繰り返し あと一ヶ月長く滞在していたら、周りのイタリア人同様、ぽっこりおなかになっていたかもしれません。 さらに驚いたのは、最初は甘すぎると感じたドルチェも、日を追うごとに甘さに慣れていくこと! 日本では、スーパーやコンビニで好きな時にお菓子を買って食べていましたが、スポレートではそれが全くなく、甘いものはマンマ・マティルデとサブリナが作ってくれるお菓子でした。 「脱・日本のお菓子」となり、ひと月もしないうちに、パンナコッタチョコソースがけや、ヌテッラのタ ![]() イタリア人的生活スタイルを味わいました。 もちろん、人々の温かさ・気さくさや、考えを主張するところ、子供を大事に扱うところなど・・・ツアーでは体験できない部分に触れることもできました。 この滞在の魅力は、ツアーでは絶対に経験できない、普段のイタリア人に近い生活が体験できるところではないかと思っています。 ![]() 今回の滞在期間は日差しは強かったですが、8月の始めまでは気温が低く長袖が必要なくらいでした。 寒さは苦手ですが、次回はブドウやオリーブの収穫の時期に滞在し、秋のイタリアを感じてみたいと思っています』 (2011年9月) K.A. |
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<アメリア滞在記> 2010年4月~5月 アパート1ヶ月滞在 2年ぶりのアメリア。 出発前にアイルランドの火山噴火のため、中止も覚悟していたので、無事にアパートに到着したときは、本当にとてもホッとしました。 今回はGWだけ、主人もやって来るため、アッスンタ家のアパートに決め、ここは同じフロアのお隣に、大家のアッスンタさんが住んでいて、たいてい朝9時過ぎになると、「下でカフェ飲まない?」とお誘いがありました。 アパートの一階にある、家具のショールームで働いている娘さんに、毎朝カフェを入れてもらうのが、彼女の日課なんですね。 実は、以前は大家さんと離れたアパートを借りていたので、あまり気軽に訪ねられると、自分のペースが乱されちゃうかと思ったのですが、毎日何回か顔を合わせて、遠慮せず足りないものを分けてもらったりしていると、「やっぱり大家さんがお隣の方がいいかも」と、なんだか思えてきましたね。 主人が滞在した間は、菊地さんにガイドをお願いして、ノルチャとスポレートを訪ね、イタリアでも使える、日本語ガイドのカーナビ・ガーミンを購入した主人は、次にイタリアに来た時は、ガーミンがあればレンタカーを借りて、あちこちウンブリアの街を訪れるのも、きっと楽しいだろうと思ったようです。 家庭教師のクリスティーナが、フィアンセとガーデン・ランチに招待してくれた時は、森の中のお宅で、主人も自家製ワイン、チーズやサラミ、暖炉で焼いたグリルなどご馳走になり、自然の中で、家族や友人達との賑やかな食事を楽しんでいました。 ウンブリアの自然や周りの人達に接して、8日間という短い滞在でも、彼なりにウンブリアの良さを実感してくれたみたいです。 一人に戻ってからは、お隣のナルニのお祭りで、夜に行われる中世時代の行列を見に出かけました。 メイン会場や大通りはとても混雑していましたが、狭い路地からやってくる行列を、両側の建物の窪みに入って避けながら、間近で見学することができ、素晴らしい衣装や幻想的なムードにうっとりしてしまいました。 またアパート前の道が、世界3大自転車競技のジロ・デ・イタリアのコースなので、大家さん一家とバルコニーから見学。 スポンサーの飾りつけた宣伝車や自転車をたくさん積んだサポートカーなども面白くて、イタリアでは人気が高いから、ちょっとしたイベントなんですね。 それから今まで知り合った友人達に、日本料理を作った事もありました。(押し寿司や稲荷ずし、焼きそば、焼肉など簡単なものですが)調理中、興味津々で皆に間近で見られると、なんだかやりにくくて(笑) 女性陣からは「日本人は作業がすごく慎重で細かい!」って言われましたよ。 滞在中、他にはペルージャ・テルニ・オルビエート・トーディ・サンジェミニなど訪問。 アメリアでは自転車をお借りしたので、スケッチに出かけたり、図書館に通って好きな美術の本を眺めたり、のんびりと自分流に過ごし、大家さんから「ローマに一度も行かないの?ショッピングもしないの?」と言われるほど、どっぷりウンブリアに浸った一ヶ月。 周りの人達のおかげで、寂しいと感じたことは一度もなくて(笑) 大家のアッスンタ・マンマ、前のアパート大家のアンナ、教師のクリスティーナ、そのご家族や友人たちのおかげで、本当に楽しく過ごせた一ヶ月でした。 N.H |
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↓ <アイちゃんからの感想文> 2009年6月アグリ滞在2週間 イタリアに行くのは初めてでしたが、思い描いていたよりも、ずっと環境の良いアグリでした。 手作りの食べ物やワインも非常においしく、アグリ内の人々も気さくだった為、すぐにリラックスできました。 ![]() ,イタリア語にどっぷり浸かりながら、現地の生活を垣間見ることができて、とても新鮮でした。 滞在中にハートオブイタリー主催の日本フェスティバルに参加でき、現地の人と交流が持てたのも面白かったです。 オーナー夫婦が英語を話せる点と現地のエージェントが日本人だったので、助かることが多かったです。 また機会があれば、短期間でも訪れたいと思います。 藍 |
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<アグリ研修3ヵ月> 2009年4月~7月 早朝のローマ空港に到着。早速、菊地さんとの待ち合わせのOrte駅まで向かう。到着までは約2時間。 ![]() 乗り過ごししてしまわないかとずっと、ドアのところで立っていた。 Orteの看板が見えた。 さあ、いよいよだ。実はこの時、本当に菊地さんがいてくれるか心配だった。日本からはネットだけの契約で手続きを進めたけど、大丈夫だよね?と考えていた。 するとHPで見た男性が近付いて来て、声をかけてくれた。その方が菊地さんだった。 その瞬間、また一歩イタリアでの生活が近付いたような気がした。アグリへ向かう車の中から物語に出てきそうな家々が並んでるのが見えてきた。私、ホントにイタリアに来たんだぁ。やっと夢見てたイタリアの生活が始まる!! ![]() 「AGRI PIANA」の看板とまっすぐ続く白い道が見えて来た。「もうここから全部アグリだからね」と言われて、一段とドキドキした。と、突然視界が開け広い広いぶどう畑や動物、その先のかわいらしい建物が見えた。私のアグリのイメージそのものだ。ここに生活するのかと思うと嬉しくてどうしてていいのかわからないくらいだった。 中に入ると、若い女性がアグリ中を見渡せる部屋を案内してくれた。菊地さんと一緒にクラウディオを始めたくさんの方と挨拶をし、アグリの案内をしてもらった。その後、菊地さんとはしばしのお別れを告げ、いざイタリア生活がスタートした。 ![]() 毎日見るもの、食べるもの、会う人、全てに感動して、来てよかったぁぁと喜びを噛み締めてた。特に食事に関しては、とにかく「普通のパスタ」がおいしい。こんな書き方とするとおおげさに聞こえるかもしれないけど、例えばトマトのパスタやズッキーニとパンチェッタだけのパスタがびっくりするほどおいしい。オイルたっぷりなのに、全然しつこくない。日本で食べていたパスタやオリーブオイルはなんだったんだろ。。と思うくらいだった。そして、このアグリは何と言っても赤ワインを作っていてこれまたおいしい。イタリア式?に水で割って飲むと飲みやすく、キッチンのスタッフはジュースのように飲んでる。(もちろん酔ってしまうのは私だけ…)前菜から始まり、パスタ、肉料理、サラダ、ドルチェ、コーヒーでフルコース。おいしくて毎食食べ過ぎ状態で何日か幸せに過ごしていたほどだった。 その一方、私のイタリア語生活はほぼゼロの状態からのスタートだった。「おいしい」「おなかいっぱい」「何歳?」「これは何?」とにかくこれらのフレーズを覚えてひたすらいろんな人に使っていた。電子辞書とノート、ペン、デジカメを毎日持ち歩いていた。また、アグリには元気はつらつの子供たちが二人いて、初日にアンドレアがすごい勢いで自転車で近付いて来たかと思うと、私の目の前に立ち丁寧に自己紹介をしてくれた。残念ながらその時の私にはほとんど理解できなかった。すると、ちゃんと私の様子を理解してくれたらしく、ゆっくり言い直してくれた。スーリアも後から恥ずかしそうに名前をポソっと教えてくれた。 ![]() 楽しくスタートしたアグリ滞在も1ケ月半を過ぎた頃、ちょっとしたことから気持ちがふさぎ込んでしまった。(今ならちょっとしたことと思えるが、当時はどうしてよいのかどうしたいのかわからなかった…)誰とも会いたくないし、話したくない。意志疎通がうまくできない。イタリアに来たくて来たのにイタリア語がわからず、結局理解できたのは英語で話されたとき。わからないという不安と全然覚えられてないんじゃないかという不安から頭の中でイタリア語がグルグル回ってた。 実際は誰とも話したくないんじゃない。むしろ、めちゃめちゃ話したい!話したくてたまらないのに自分の言いたいことが言葉でうまく表現できない。英語でさえも。思ってる事が言葉にできないってこんなにももどかしくて苦しいのか、と初めて思った。普段日本では、なにも気にせず話していたことがこんなに難しいことだったのかと痛感した。クラウディオ始め、アグリの人たちはみんな私のために、といろいろ考えてくれてる。それは、ものすごく伝わってくる。だからこそ、余計に苦しかった。菊地さんに相談するとクラウディオに私の気持ちを伝えてくれた。 ![]() その晩、これからどうやっていけばいいんだろう、と、いうより私自身どうしたいんだろう、と考えていた。私はすぐ遠慮しすぎてやりたい事あるのに、言ったらわがままになっちゃうかな、と考え過ぎてしまう癖があった。菊地さんに対してもこの日初めて思っていることを全部話せたような気がした。なんとなく、菊地さんにも頼り過ぎてはいけないと勝手に思っていた。だから、話したことでずいぶん楽になっていた。ふと、「私自信がみんなに心を開いてないんじゃない?」という思いにたどり着いた。とりあえず、思った事をなんでもいい、ちっちゃい事でも伝えてみよう。と思った。言葉がわからなくても、態度でもっと表現してみようと思った。 すると、次の日から途端に心が軽くなった気がした。みんなとも急に仲良くなれた気がした。もちろん私のイタリア語能力が急にあがったわけじゃない。ただ、嬉しいときに嬉しい!おいしい時においしい!の感情を顔で、行動で出してみただけだった。それまでは難しく考え過ぎていたのかもしれない。私のアグリ生活の中でこの日は決して忘れられない日となった。みんなの話してる事が、なんとなく雰囲気で少しだけつかめるようになったのもこの頃からだった。 ![]() 6月に入るとアメリアで菊地さん主催の日本フェスタもあり、アグリへ日本からのお客様がいらっしゃったり、私も遊びに来てた友人と南イタリアへ小旅行に行ったりと、あ!という間に毎日が過ぎて行った。 日本フェスタではイタリアの文化的な建物の中で茶道や折り紙を行い、イタリアの人たちが興味深げに見学し一緒に体験してくれた。私も日本舞踊など初めて拝見させてもらうものが多く一緒にワクワクしながら見学していた。当日はたくさんの観客が参加してくれて、日本文化が遠く離れたイタリアでこんなにも興味を持たれていることも初めて知った。そこで出会った日本人の方々ともきっと何かの御縁だと思う。それぞれ、イタリアが大好きな方やヨーロッパを巡ってる方、老後の楽しみだと長期滞在してる方、実は日本ではすごくご近所さんだった方、このフェスタのために来られた方。ほぼ初めて会う人たちが一つのフェスタを通じてイタリアに日本文化を広めただけでなく、私たち自身の交流も深めてくれた。 フェスタが終了すると、いよいよ私のイタリア滞在も二週間を切っていた。アグリによく来てくれる人たちから「いつ帰国だったっけ?」「次来る時はまだいる?」と聞かれるようになって、本当に帰国の日が近付いているんだぁと感じていた。毎日がすごい勢いで過ぎていく。そのせいか、日記が追い付かなくなってきた。 ![]() 私はアグリ滞在中に、キッチンで見たものをどんどん書き留めていた。何を食べてもおいしい食事をなんとか自分でも作ってみたかったのと、何と言ってもイタリア本場の料理を目の前で見られる、覚えられる、私も作れるという贅沢な環境をなんとか形にしてとっておきたかったのだ。あとは、イタリアと日本の違いを感じたときに書き留めていた。日常の何気ない時間にも新発見はたくさんあった。例えば、じゃがいもの皮むきを頼まれもくもくとやっていると「どうしたの?疲れたの?」と聞かれた。きっと私が黙って作業していることに心配して声をかけてくれたのだろう。私はバイトや仕事の癖で無意識のうちに作業はもくもくと取り組むものだ、と思っていたのだろう。しかし、そう声をかけられて気付いた。そう言えば、ほかのスタッフは誰一人として黙ってない。大声で話していたり、歌ったりしている。鼻歌のレベルではない。カラオケばりに歌っている。歌謡曲らしいものを歌っている人に混ざって「じゃがいも~♪じゃがいも~♪」と即興で歌っている人もいる。とにかく賑やかで、料理をしながらとても楽しそう。そして、つまみ食い。これまた量が半端じゃない。日本でなら軽く一食分はあるくらい。最初の頃はこのつまみ食いで、お腹いっぱいになり断ることも多かった。しかし、心配なく滞在期間中に自然とみんなと同じ量を食べれるようになっていた。菊地さんにもイタリア人らしい体格になってきたね、と言われるまでになった。 私はアグリで滞在するにあたって決めていた事があった。それは、「とりあえずなんでもやってみる」「とりあえずなんでも食べてみる」「マネしてみる」の三つである。これを行うことでみんなと仲良くなれたし、会話も生まれて、本当にたくさんの事が経験できたと思う。 例えば、アグリに来ていた40人くらいの団体さんからお誘いいただいて、夕食をご一緒させてもらったり(もちろんクラウディオの許可を得て)、スタッフで食事のときは食べ方をマネしてみたり食後のコーヒーも同じような飲み方で飲んでみたり、キッチンで食べてみる?と黒いコロンとしたものを出され、 ![]() 食べ方や行動をマネすることで私もイタリア人っぽい?溶け込んでる?と思えた。そして、日本にいるとなかなか(ほとんど)経験できなかったことや、きっと「いいです。いいです。」と断っていたような事も「とりあえずなんでも」と思い行動していた。 だからこそ体験したことの全てが、滞在していた一日一日が、素晴らしい思い出となり、また私の人生経験を豊富にさせてくれた。 それは「日本の良さ」「イタリアの良さ」を改めて知り、また普段の生活を考えさせてくれるきっかけになった。日本文化の素晴らしさを改めて知ったことはもちろん、お米を食べておいしくて泣いたのは初めてだった。体調を崩して何も食べられなくても、自然とお米はノドを通る。私はやっぱり日本でこれを食べて成長したんだ、と強く強く感じた。電気や水道も当たり前のように、常に一定で使える。これも今まで当然だと思って生きて来た。会社では人の少なくなったオフィスもこうこうと電気がついている。コンビニの普及や企業の休日減少にともなって、段々不便と感じることすらなくなってきている。むしろ、便利さの有り難みに気付いていなかった。スーパーでは異様なほどまっすぐな野菜しか売っていない。 ![]() 一方、イタリアでは日本の働かざる者食うべからずとは逆に、食事は全ての人が摂るもの食べなければ働けないという考えの基、食品類には消費税がない。人とのつながり、家族のつながりを重視する。会えたこと自体に喜びを表現したり、感謝の気持ちはちゃんとしっかりそしてたっぷりと伝える。おあばちゃんの誕生日に親戚一同約30人くらい集まりお祝いする。これは、私の滞在中に何度もアグリで見た光景だった。子供に対しても大人同士でもちゃんと面と向かってしかったり、意見を言い合い、抱きしめてハグして愛情を表現している。 これらを感じ、考え、私のイタリア生活最終日の日記にはこう記してあった。 「本当にあっという間だった。みんあとも素晴らしい思いでが出来たし、何よりも私の中ですごい経験になった。よく頑張りました。周りのみんなの支えがあったからこそ。言葉が通じる通じないというよりもその前に人と人で通じ合えることなんて本当たくさんあることも痛いほど感じた。感謝しきれないくらい山のように気持ちがいっぱい。本当に幸せに過ごせました。ありがとう」 三ヶ月の間、気持ちがふさぎ込んでしまったり、じんまんしんが出たり、どうすればいいんだろう…と悩むことも多かった。 ![]() イタリア生活で本当にお世話になった菊地さん、クラウディオ一家、アグリスタッフのみんな、お客さん、その他多くの全ての方に感謝しています。 ありがとうございました。 藤田美代子 |
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<アメリア滞在記> 2008年6月 今年また大好きなウンブリアにやって来ました。 思い返して見ると、菊地さんのお世話になり、初めてウンブリアで短期ホームステイを体験したのが、4年前。 それからすっかりここが気に入ってしまい、去年の春は、アメリアのアパートに一ヶ月滞在し、イタリア語を習うプログラムに参加。 その時に知り合えた人たちと、ちゃんとイタリア語で会話がしたいと、帰国してからも、イタリア語の勉強を頑張り、半年後の秋に再訪。そして今年が4回目。 今回は今まで借りた旧市内のアンナベッリ家のアパートが使用中のため、新市街のアッスンタ家のアパートとなりました。 広くてモダンなアパートですが、怖がりの私には少し広すぎたようで、真夜中、廊下を歩く時にガラス扉に映る自分にドキっとしてしまいました。 (寝室からリビングまで廊下を歩いてみたら、なんと35歩もありました) とにかく自宅より広い間取りなので、一人ではもったいなくて。ここのリビングなら、友人を呼んで日本食パーティーもできますね。 またなんといっても、アメリアの街を一望できる広いテラスが素晴らしい! 毎日、夕暮れや夜ライトアップされたアメリアの旧市街を眺めたり、そこで読書やスケッチをしたり、つい気分良く歌まで歌ってしまいました。 またすぐ隣に大家のアッスンタさんがいるのは、とても心強く、彼女のイタリア語は癖があるのか、私には聞き取るのが難しかったのですが、いつも「何か足りないものない?」と気にかけてくれ、私がシャンパンが好きと知ると、プレゼントしてくれたり、日曜のお昼には家族とのランチに招待してくれました。 また前の大家のアンナさんとは、メールや手紙で交流を続けていたため、今回の滞在は彼女のアパートではないのに、食事やお茶に誘ってくれたりと、とても良くしてくれて、本当に感激しました。 彼女のアパート、アンナベッリ家は旧市街にあり、バスで帰ると坂を登らないといけないのですが、古い建物を眺めながら歩くのが好きなので、自分の街(アメリア)に帰ってきた実感がありました。 ウンブリアの景色を見下ろせる場所も近くにあり、そこが私のお気に入りでしたし、こちらは私には調度よいサイズで、自分の家のようにリラックスできました。 今度アメリアに来る時は、どのアパートにするか迷ってしまうかもしれません。 アンナさんのご自宅は旧市街から離れた、とても素敵な所にあり、今回は彼女の家で、顔馴染みになった彼女の友人も招き、アジア料理を振舞いました。 メニューは、稲荷寿司・サーモン手巻き寿司・カレー(甘口)・焼肉・杏仁豆腐にし、テーブルには祝箸や、各人に違う折り紙を折って飾ったり。海苔やカレーを食べてもらえるか心配でしたが、一通り食べてもらえてホッとしましたね。 とにかく私が出会ったウンブリアの人たちは、皆さん穏やかで親しみやすく大好きです。 それから滞在中に、フィレンツェに旅行に出かけたのですが、駅から出たとたん、排ガスや空気の悪さに気分が悪くなってしまい、アメリアにすぐに帰りたくなってしまいました。 観光や買い物などは、確かに楽しいのですが、治安も心配でリラックスできないので、ウンブリアに戻ると、本当にホッとしてしまいました。 モッツァレラチーズを毎朝作っている店・切り売りピザの店・チョコとワインの店・自家製ジェラッテリアや、生パスタの店など、どんどん自分のお気に入りのお店が増えるのも楽しくて、、、 きっとまたアメリアに戻ってきます。 その時はまた、どうぞよろしくお願いいたします。 N.H. |
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紀行文の第一回目をお送りします。 日本のOさん、Aさんへ 今回のイタリア長期滞在は、1979年の某日、読売新聞に載った「世界の住宅事情」という記事で「ヨーロッパの住宅が、極めて安く手に入る」という情報を得たことがきっかけでした。 化粧品会社の勤務時代に、イタリア駐在員との連絡がバカンス時期には40日近く連絡が取れなくなるなどのこととか、1986年に発表された「世界経済の均衡発展のための日本の経済政策の歴史的転換」を目指したいわゆる「前川リポート」(輸出経済から、内需拡大経済へ)に端を発した通産省の「定年後は海外で」という「シルバーコロンビア計画」なども私の夢に拍車をかけました。 住む場所はイタリアと決めたのは8年前。長女が、シエナ出身でローマ大学在学中の青年、アンドレアを私に紹介したことがきっかけでした。 そして、イタリア語を習い始めてから二年半、三代子さんと現地下見に訪れてから一年が過ぎてやっと私の「定年後はイタリアで」が実現しました。三代子さんは、日本を私と一緒に立ちましたが、勤務のため六日間の滞在で、帰国しました。 さて、前置きが長くなりましたが、私の生活しているアメリア(Amelia)の街を紹介します。 次に2000年以上の歴史を持つアメリアの町並みの様子をお知らせします。 6月17日以降は完全に夏の気候になり、連日天気の良い暑い日が続いていますが、湿度が低いので、日陰に入れば涼しい風が通り抜けます。 また夏至近辺のこの時期は、日の出が6時と東京に比べると大分遅いのですが、日の入りは21時過ぎ、完全に暗くなるのは22時以降と、日照時間は同緯度の札幌と同程度となっています。 Oさん、皆さんから頂いた靴で、ミラノに住むイザベラには、スイスとの国境近くの世界一短い駅名の「RE」という駅に、スイスに通じる国際山岳登山鉄道で案内してもらいました
秋葉原の事件は、つい最近知りましたが、七人の死亡者が出たような大事件とは知りませんでした。時代に閉塞感があることの象徴的な事件ですね。生きることに希望を持つ人間には出来ないことです。ジャーナリズムも含めて厳罰主義だけに走ることなく、正しい分析と世の中対策が必要に感じます。 長くなりました。今回はこれで終わりですが、次回は6月の20日~22日に行われたアメリア旧市街商店街主催の夜の楽しい夏祭りの様子をお知らせします。 ではまた、町田弘道 |
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<アッスンタ家滞在記> 2007年12月5日~16日 春に続き今年2度目のアッスンタ家訪問です・・・ ![]() もうすぐ77歳とは思えない元気たっぷりのアッスンタマンマの大きな声での出迎えに、「あぁ、Ameliaに帰ってきたんだぁ・・!」と実感。お互いのほっぺにチュッ☆ この家に初めて訪れたのは半年前、今年の春でした。 約2ヶ月の滞在でこのFamigliaが大好きになり、またみんなに会いたくなりイタリアのクリスマスを見てみようと半年ぶりのAmelia帰還となりました。 ![]() 家族はアッスンタマンマを筆頭に3世代の総勢10名。 マンマの娘さん夫婦・息子さん夫婦、に子供達5人。みんなみんな素晴らしく親切です! 朝、9:30頃のマンマの「コーヒー飲む??」のお誘いからAmeliaでの1日が始まります。 今回はAmeliaに里帰り(?!)の私の為に私が大好きだったオレンジのケーキを焼いて待っていてくれたのに始まり、仏教の国から来た私の為にキリストの国のクリスマスを教えてあげようと、いろいろ説明してくれたり(宗教的なイタリア語はかなり難しかった(-_-;))、 ![]() マンマの娘さんのジュゼッピーナの家でクリスマスツリーとプレゼーピオの飾り付けを私も一緒にやらせてくれたり、教会の大きなプレゼーピオを見に連れて行ってくれたり・・とその他たくさん、日本とは全く違うイタリアの一般家庭のクリスマスをたくさん味わうことができました。本当に有難い温かいファミリーです(^.^) 家族みんなの心温まるおもてなしの数々に、本当に心底満たされる日々でした。 アッスンタマンマは「私は香織の2番目のママだよ」とかゆい所に手が届くほどにあれこれと面倒を見てくれます。本当にイタリア人気質の元気で優しいマンマです。 私も本当のママのように甘えられます。 娘のジュゼッピーナも息子のマウロも本当に妹のように可愛がってくれ、その子供達もほんとにカワイイ子達です。 それもこれも、ガイドブックには載っていない観光地でない小さな田舎だからこそのぬくもり・温かさなのかもしれないですね。 街の人はみんな親切で、時間がゆっくりと流れている、この小さな田舎街のAmeliaが私は大好きです。 ![]() 私のふたつめの家族、私にとってのイタリアの故郷Ameliaにめぐり逢わせてくれた菊地さんには本当に感謝しています。 次はいつ行こうか(帰ろうか?!)もう次回の里帰りが楽しみです! 最後に、 ジュゼッピーナが私に復唱させて教えてくれた言葉・・・ 「lascio ad AMELIA il mio cuore…..」 私の心をAmeliaに置いていくよ(だからまた絶対来るよ) (大野香織) |